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その日、その時、自分は池袋にあるハローワークにいた。

2011年3月11日、午後2時46分。
その時刻は、庁舎内に並んだ求人情報閲覧のパソコンの前について、操作を始めてほどないころだった。
ハローワーク池袋のサンシャイン庁舎は、サンシャイン60の3階に位置している。

最初はごくわずかな震動だった。
感じているのは自分だけだろうかと思い、周囲を見まわしてみても、皆なにもないかのようにしている。いや、一人くらい首を上げてじっとしている人もいたような気がするが、もしかしたら単に考え事をしていたのかもしれない。
でも天井からつり下がっているプレートを見ていると、やはりわずかに揺れているようにも思えるし、地震なんじゃないだろうか。

そんなことを考えていると、ふいに大きな揺れが始まった。

カタカタといつも感じているような揺れかと思ったが、それはもっと大きな振幅の横揺れだった。
思わず、ツイッターにも揺れてる旨のツイートをしている。まだそのくらいの余裕はあった。
それまでの経験上、揺れはそのうちにおさまっていくものだったが、この日は違った。明らかに10cm単位での横揺れが、ゆっくりめの周波数で続いていた。
次のツイートは約2分半後。震動が大きい上に長く続いていることを言っている。

もしかして高層ビルの柔構造だとこんなになるのだろうかと思うくらいに、長く大きくゆっくりとした揺れが続いていた。
それでも幸いなことに、周囲ではものが倒れたりとか落ちてきたりということはなかった。最初に見あげたプレートは大きく揺れてはいたが。そして窓から見える首都高速はすぐ間近で、これだけの振幅だと接触することはないのだろうかと、よけいなことまで考えていた。机の下に潜って頭部を保護するなんてことはまったく思いつきもしなかった。そして誰もやっていなかった。

数分ほどして、揺れはようやくおさまった。
フロアでは、ちらほらと席を立つ人の姿もあったが、大方はそのまま各自のやることを続けていた。
自分もまた、せっかく出てきているのだから、やれることはやっておこうとパソコン端末に向かっていた。
さすがに情報が欲しかったので、携帯電話のワンセグ機能を試してみたが、ビルの中だからか電波が受信できない様子。ツイッターの自分のタイムラインをちらちらと更新しながら眺めていると、首都圏各地で揺れた、大きいといった情報がある程度だった。それと、震源が東北だという情報。

館内放送で、ビルの防災センターからのアナウンスが何度も続いていた。
いわく、エレベーターが止まっているとか、大きな地震が発生したがこの建物は耐震構造なので問題ないとか、そんな内容を繰りかえしている。その頻度は、逆にじんわりと不安を揺り動かそうとしそうなくらいなものだ。

何度かワンセグ視聴を試み失敗し、ときおりツイッターに情報を求めたり、そんなことをしながらもパソコン端末を操作していたが、はじめの揺れから約30分後、ふたたび大きな揺れが始まった。
これもまたゆっくりした周期の大きな横揺れが長く続く。
さすがにそのまま高層ビルの中にいることは心理的にできなかった。揺れがおさまると、受付で必要なことをすませ、建物の外に出た。たぶん、いつもの自分と比べたら、少し早足になっていたのではないかと思う。

サンシャイン60の3階からは、隣接しているショッピング施設アルパからすぐに屋外の広場へと抜けることができる。
地上1階にも階段とスロープで連なっているその広場には、テナントとして入居している企業などの社員たちが大勢避難したまま、まだその場にとどまっていた。
気を落ち着かせるために、自分もその一郭の腰を下ろせるスペースに座り、しばし茫然としていた。
人々のざわめきがそれとなく聞こえてくる。お台場の方で火事とかいう声も聞こえている。ようやく電波を拾えるようになったワンセグ放送でNHKを見てみたが、そこでわかるのは東北地方の太平洋沿岸に大津波警報が出ているというくらいのことだった。津波警報ではない。初めて耳にする言葉、大津波警報だ。しかしその時点ではそれ以上のことはまだわかっていないも同然だった。一部では津波は既に到達しているものと思われますというアナウンサーの声も、半ば聞き流していたような気がする。むしろ、上空をいつになく低く滑空するジェット機の姿が、とても大きく見ることができ、しかしそんな光景もどこか現実のものではないようにも思っていたのかもしれない。誰かが、羽田空港が使えないのではないか、といったことを話していた。

20分近く、そうして座っていたのかもしれない。
しかし考えてみると、本震やそのあとの余震の揺れの大きさからすると、屋外とはいえ高層ビルのすぐ脇にいるのは賢明なことではないかもしれない──そう考え、帰宅することにした。

1階へと降り、駅へと向かう。
すぐ隣の公園にも、周辺の企業から非難してきたらしい大勢の人の姿があった。みんなまだ、ただそこにいるだけのようでもあった。
サンシャイン通りは、若干人の姿がいつもよりも多いような感じがした。バス停があるあたりまでくると、さらに人の姿が増えてきた。
そして駅では、電車は運行を停止している、運転再開までは時間がかかるかもしれない、といったことをアナウンスし続けている。JRも、私鉄もだ。
外に出てから30分後、池袋駅前で、徒歩で帰宅することを決意した。

以前は電車が動いていない時間帯に歩いて行き来することは何度もやっていたし、最近はちょっとした近く行けるルートも探し出してあるし、歩くことに不安はなかった。
その日は、FM放送が受信できる Walkman を持って出ていた。地上波TVアナログ放送も1~3ch が音声受信できるので、NHK総合を聞きながら歩いた。

西口に抜けると、少しいったところにある小路では、建物の外壁が少し崩れたようだった。道路が通行禁止と書かれたテープで封鎖してあった。初めて目にする地震の被害だった。
途中、なんどか休み休み歩いたが、座っていると下から揺れが伝わってくることが何度もあった。小さな余震は続いているようだった。
テレビの音声は、ひたすら津波の様子を実況していた。(その光景や、緊急地震速報から始まる放送の様子は、は後日、YouTube で見た。) 風が強かったのを憶えている。90分ほど歩いて帰宅した。

室内は思っていたほどひどい様子ではなかった。カラーボックスや本棚の中身が一部落ちていた程度で済んだ。本棚じたいは倒れてはいなかった。ただ、少し整理しないことにはテレビをつけることはできなかった。幸いなことに、パソコン本体も、液晶モニタも、転ぶことなくそのままでいたので、ネットからいくらかの情報を得ることができた。そして、TBSがいち早く、地上波の内容をストリームで伝送してくれてるのがありがたかった。

その夜は電灯を点けたままにして過ごした。
しかし、まともに眠れるような夜ではなかった。何度も何度も、大きな余震がやってきた。テレビから流れる緊急地震速報のアラーム音が耳につきすぎた。そしてケータイのエリアメールも何度も何度も鳴り響いた。

翌朝、まだ店舗に備蓄があるうちにと、ファーストフード店で銀舎利の朝食をとり、そして原チャリの燃料タンクを満タンにし、コンビニでささやかなるも、保存のきく食料と水を買い込んだ。

しかし、被害の状況が、とてつもなく深刻なのが、そのうちにはっきりとしてきた……。





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  1. ばら
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