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自動リンクでいったいどんな商品がピックアップされるのか実験も兼ねて置いてみました。 はたしてこのブログはamazon的には……。



載せてみたりする。

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今回は3年前に書いた文章をまず紹介しよう。




1985年のアルバム「Animal Index」から。
このアルバムの制作コンセプトはメンバー各自が「シングルのAB面用の曲を持ち寄る」といったもの。それに伴い、レコーディングは冬の河口湖スタジオにメンバーが交代で入り、ほとんど個人作業でトラックを埋めていった。それでもアルバムとして通してみるとムーンライダーズとしての統一感ができてしまっているからすごい。
そんな中、鈴木慶一はすべてのメンバーのレコーディングに立ち会い、時には富士の裾野の天然の残響をいっしょにサンプリングしたドラム音源を供給していたり、それにともなって精神的に弱ったりとかしていたという。

この曲はいろいろとありましてねぇ……

アルバム発表後のライブでは、スクリーンの前に一人だけ姿を現した鈴木慶一がラジカセを抱えて切々と歌うのが印象的だった。曲が終わってスクリーンの裏側にまた姿を消すと、ステージ上に残したラジカセから声が流れ続けているという演出。(この時のライブでは通常のステージ以外に、観客席乱入のフル・アコースティック演奏なんかがあったりしたのだけど、五反田ゆうぽーとの時だったかな? 鳴りやまないアンコールに急遽その曲目が追加されたのは。

このアルバムではビデオクリップ集も作られていて、このライブ映像だけでなく、スタジオ収録したものも使われている。題して「Dream Materializer」。
で、なじぇかこのスタジオ・ライブの収録にも行ったことがあったりして……。
それは高田馬場 BIGBOXでファンイベントがあったときに「この後、収録がありますが……」だかで、5人程度が観客から選ばれたのだけど、運良く残りましたよ。ええ。それでテイチク杉並スタジオ(南高円寺)に行って……セッティングとリハの間が延々と待ち時間。スタジオのロビーでオンエアされていた「戦場のメリークリスマス」を見ていた記憶が……。そんな感じで、時折スタジオから演奏の音が漏れてくるのを聞きながら延々と待ってたのでありました。
そして夜も更けたころにようやく本番。「僕は走って灰になる」がそうなんだけども、私らが入ったテイクは使われてません。はい。

そして年月は軽く10年以上が流れ……。
赤坂BLITZでのライブのセット・リストの最後の方(ひょっとしたらアンコールでのラス前)で演奏されたときに、思わず聞きながらイメージがぐわんと広がってしまったのでありました。それがきっかけで After Effectsを買ってしまう(それも Pre Version)なんてのは如何なものやら。でも、赤坂の帰り道、紀ノ国坂を原チャリで走りながら、頭の中に流れ出すイメージが止められなかったのも事実。
で、その後? TVで「ケイゾク」のオープニング・タイトル見て打ちのめされてしまいましたとさ(笑)。デジカメでのスチル素材はそこそこそろえてあるから、そのうちに再挑戦してみるかもしれませんが。でも、予定は未定。

さて。
この淡々と続く歌詞はね。ええ。けっこうズガンと来るのですよ。Aメロ・Bメロともに、2コーラスめの最後になるまでは延々と状況を連ねてるだけでしかないのだけどね。
でも、そこから広がるイメージは……。とても切なく響いて来るもの。
未来のことが見えてこない。夢を見ることもない。そんな空気は今もまだ続いてしまっているのだろうか? 明日は自然と今日と同じものが続いているだけ? そんな心情は後年になって、別の曲でもっと切々と歌われることになるのだけども、それはまたの機会に。

これまた前世紀の代物なので、歌詞にそんな形骸が残ってしまっているのはご愛敬。

ちなみにこのアルバム、NHK-FMの湯川れい子の番組にゲスト出演した時に鈴木慶一が「ぜひCDで聞いてみてください」と言っていたのを受けて、初めて買ったCDとなりました。まだプレーヤーを持っていなかったのに(笑)。
でもね。「マニア・マニエラ」のころに比べたら、プレーヤーの値段も格段に下がったからねぇ。バイト先の冬のボーナスで速攻ゲットしたですよ。




最近のインタビューでは、このアルバムのレコーディングは鈴木慶一にとってかなりキツいものだったことが語られている。だんだんと精神に変調をきたし、危ない状態の中で生まれた詞らしい。
しかしかなり抑えられたようにも感じられる詞はかえって鮮烈で、少ない言葉で語られる心情が切々と歌われている。岡田徹の曲も抑えた仕上がりになっていて、静かに響くアレンジとともに、一種壮絶な光景を瞬間浮かびあがらせてくる。
たぶん、若手には簡単に到達できない境地。ある程度の体験を重ねたものでなければほんとうには共感できないものなのかもしれない。

いまだにアルバム共々聞く機会の多い一曲。すでに記憶と感覚の中に深く刻み込まれてしまっているようだ。

いちばん近い駅から電車で二駅のところにあったTSUTAYAは、レンタルだけでなく本やCDやDVDも売っていて帰りが遅くなったときにはとても重宝していた。

それが閉店してしまってからは、自然とほかの本屋を利用していたのであまり不便さは感じてはいなかった。公私共々慌ただしくて、あまり本屋とかに行っている時間がなかったという理由もありはするが。
ただ今日は、ふと思い立った雑誌 (いや、あれはムック扱いだろうか) がそこそこの値段がするものなので、どうせならポイントつけようかと、本も扱っているTSUTAYAまで行くことにした。

そこは、かなり歩いていく駅から電車で二駅で、そこから少し歩いたところにある店。でも原チャリだからあまり関係ない。道筋もかなり単純なところだから、天気さえ良ければ楽に行けるところだ。残念なのは、仕事場からの帰り道ではないので、気軽に立ち寄れるところではないことだけども、それはしかたのないところ。

ある程度大きな店舗なのでラインナップもそれなりに揃っていたりして、よほどマニアックな探し物でなければ不便はしない雰囲気だったの一安心。
目的のブツも無事入手して、帰りは夜の住宅街の小道をうねうね走って戻ってきた。

で、帰り着いてから気づいたこと。
「ポイントはいかがなさいますか」と聞かれて、ついついいつものクセで「貯めてください」と答えてしまっていた自分。

ダメじゃん。 orz

引っ越しして以来、ずっと変わらないでいるものがある。

それは玄関を出たときに見える、少し離れたところにあるマンションの上層階の一部屋。

ベランダにひとつだけぽつんと残った洗濯物。赤い色の、たぶんTシャツ。
これがずっと残ったままになっている。いつ見ても、とはいえ夜は暗くて見えないけれども、ベランダに残ったままになっている。

さて、これはいったい何ごとなのだろうか?

ケース1。住人が引っ越ししていなくなったのだけど、忘れていった。
いや、しかし、もうかなり長い間そのままになり続けていることはないだろう。いくらなんでも管理するものが部屋の様子を見に入っているはずだし、そうすればイヤでも気づくだろう。気づいたら外してしまっているだろう。

ケース2。長期不在。
しかし長い間、帰っていないのやら。家賃がもったいないな。悪い物件ではないのに、放置しておくなんて、すごい贅沢。
というか、あまりにも平凡な発想。

ケース3。実は毎朝、早くに干して、夜にはとりこんでいる。
でも、洗濯物ひとつだけを? 他の衣類とか、タオルとか、そういったものはどうしているのだろう? たったひとつの洗濯物のためにそんなマメなことを毎日し続けるのは無理ではないだろうか。

ケース4。実はなにかの合図。
いつまでも出続けている合図に意味が……そうか。無くなったときが合図なのかも。

ケース5。なにかの実験中。
なんの実験? 色あせの? 大気中の汚染物質の採取? それとも有害物質の測定?



って、なんて平凡な発想ばかり。
なにかが枯渇しているのを、やたらと実感してしまう。

 _| ̄|○




ここのところ、仕事の忙しさが一段落したので、またというか、ようやくというか、細々と書き物をしている。

いつもと同じように、断片をまき散らしてつないでいるのだが、どうにも利用できない断片が生まれてしまった。

「でもね、現実はいつでも私たちにこうして立ち向かってくるのよ、ほら」


たった台詞一行ぽっちなのだけど。
この台詞で場面転換しようかと思っていたのだけども、それまでの流れでは使えなくなってしまったので今回は没が決定。でも語句を変えて再利用してはいるけど。今のところは。このあとの推敲でどうなるかは未定。

相変わらずちまちまとした進行度合いだけども、もう少しで作中のキャラを「歩きはじめ」させるところまで到達する。
そうしたら、ラストシーンに向かって進むだけ。下書き完了まではあと少し。
事件の前日、仕事の相手先からメールが届いていた。

自分の宛先は cc ではあったけれども、直接対応すべき立場だったし、対応は簡単なことだったので、さっそく準備を済ませてすぐに動けるようにしておいた。

事件の当日、朝、メーラーを立ち上げると、先のメッセージが to で送信されていた人物からメッセージが丸々転送されてきていた。
「それ、受け取ってるんだけどね」
心の中でそう思いながら、転送されたメッセージはゴミ箱に捨てた。

その半日後、もう一人 cc でメッセージを送られていた別の人物からも、先のメッセージが転送されてきた。その上、ご丁寧にその旨を電話で連絡してくる始末。
「だから、そんなのとっくに知ってるんだってば」
やはり心の中でそう思いながら、電話は適当に相手をしておいて、転送されてきたものはゴミ箱に捨てた。

なんだかねぇ。
この人たちは、宛先がどうなっているかということをちゃんと見ないのやら。
無駄なトラフィック増やして、無駄なメッセージを受信箱に増やして、どうするつもりなのだろう。受信箱の無駄なものはさっさと削除してしまったから良いけれど。

はっ! 二人の共通点は、Mac使いだということ。ふと気づいてしまった。
いや、そんなことは無いとは思いたくもないのだけど。MacOS 標準添付のメールソフトの表示がタコだなんてことは……。
いや、昨日の文章でちょっと自分でも引っかかった部分があったので。

「ないし」という言葉が、はたして「または」の意味で通用するのか?
オンラインの辞書で2カ所ほど、手元の紙の辞書でひとつほどあたってみたけれども、どうやら許される用法らしいので一安心。
それにしても、辞書によって解説のしかたがまったく違っているのが面白い。

ただ、こっそりと「ないしは」としていたのを「ないし」に変更した。「ないし」を「または」と読み替えるとすると、そこに助詞がくっついているのは、どうにも据わりが悪いと思ったからだ。たぶん、最初に「ないしは」と書いてしまったのは、意識の中で「もしくは」に引きずられたのではないかと思う。まあ、「もしくは」でも意味は通じるのだけども、自分の意識から流れ出してくる中では「ないしは」が自然と使われていたから。

それで今、この文章を入力しながら ATOKにセットになっていた明鏡の用例を見てみると、そこには「ないしは」という使い方をしているものが載っていた。

うーん。やっぱり言葉の使い方は難しい。
とある掲示板を見ていたら、「ひつこい」という言葉を使っているのにたいして大上段から正しい日本語を使えと言い切っているレスがあった。

この場合、レスをしたものの無知を笑うべきだろう。
彼ないし彼女はレスをする前にちょっと辞書に当たってみれば正しい知識に出会えただろうに。今ではオンラインでも辞書検索できるサービスはいくらでもあるというのに。

でも、できればやはり、手慣れた辞書とか、気に入った辞書というのはいつでも使える状態にしておきたいものだ。できるだけ最新の版のものを。
自分の場合はある程度の時期からは三省堂の新明解国語辞典を使ってきていた。理由はけっこうエキセントリックな解説がついていたりするからだ。
最近では、ATOKにセットになっている大修館書店の明鏡国語辞典がけっこう重宝している。なにより用例がわかりやすくまとめてあるのがとてもうれしい。

言葉じたいが揺らいで移ろいでいくものだから、いつまでも以前と同じ「正しさ」が通用するとは限らない。とはいえ、辞書を使うことはそんなに手間ではないはず。ちょっとした心がけで文章は変わるもの。
閲覧がではなくて、管理画面のレスポンスが。

ここ何日か、22時を過ぎたあたりから管理画面のレスポンスがやたらと時間がかかっている。
昨夜など、24時過ぎに記事を「下書き」の状態で保存するだけで3分半以上も反応が無く放置されてしまっていた。その上、「今すぐ公開」にして保存しようなものなら、もっと長い時間放置された上に「混み合っています」と表示されてしまう始末。
ブラウザの「戻る」の機能で記事の作成画面には戻れるので、最悪のダメージは避けられているが、ちゃんと保存されているのかどうか、PINGサーバーに届いているのかどうか、わかりもしない管理画面というのは利用者としては不便なことこの上ない。

昔からいわゆる「テレホタイム」ではいろいろな混雑に直面してきた自分ではあるけども、ココログは10月のメンテナンスで設備増設をしたばかりではなかっただろうか。
新しい記事の投稿に支障を来すとか、その他の管理作業がまともに実行できているかどうかもわからない状態が続いているのは、実質的な有料サービスであるココログとして如何なものだろうか。私は現在、かなりの不満を持っていることをはっきりと表明しておこう。

そして現状を少しは認識していただきたいので、社長の記事のひとつにトラックバックしておくことにしましょうか。
はたしてそれが効果あることかは不明だが、まだ多少は期待をしてはいるんですからね。
横須賀を通過する上に、フリーパスを使っているとなれば途中下車をしないわけにはいかないだろう。

そう、目指すは横須賀名物海軍カレーの店、魚藍亭

とりあえず久里浜中央駅で降りて、てくてく歩くことにしたのだけども……横須賀の市街の様子といえば、あまりにも絵に描いたような「基地のある町」。
いやはや。これは良いことなのやら、悪いことなのやら。
実際にそんな光景の中を歩いていると、自分のイメージの限界が狭すぎるのか、それとも現実にまったく意外性が無いのか、はたまた未知の理由が隠れているのか解らなくもなってしまう。
はっきりと言えるのは、日本は平和だということ。たとえそれがまやかしの上に浮かんでいる代物だとしても。

閑話休題。

051023iメニューにはいろんなバリエーションが載ってはいるけれども、やはり最初に試すべきは原点とも言える「元祖」だろう。
ちなみに、元祖だと牛乳が付いてくるというのも、なんだか嬉しい。
他には海藻をメインにしたサラダと、付け合わせのラッキョウと福神漬けの皿。

そして肝腎のカレーはといえば、やっぱりこれはカレー粉をメインに使ったレシピになるのだろうか、どこか懐かしさも感じられる味わいで食べながらなんだか安心してしまう。
ざっくりと入ったニンジンやジャガイモの野菜も、なんだか嬉しい。
どうもカレーというと、インド各地とかスリランカとかのネイティブなものを指向してしまいがちになるけれども、たまには「日本人のカレー」みたいなところに近づいてみるのも良い感じだ。

この店では、カレーか、パスタをメインにしたコースも2100円から用意していて、このコースもなかなかリーズナブルな内容になっていそうだ。
カレーも、野菜とか、ほうれん草とか、イカスミとか、ロブスターを使ったりとか、いろいろなバリエーションが用意してあるし、近場の三崎のマグロを使ったカルパッチョとか、レアソテーなどの単品料理も興味をひく。

機会があったら、こんどはそういったものを試してみるのも悪くないな、なんて思う。

お腹もいっぱいになったので、会場を抜けてひと休み。

051023f魚市場の建家の南側は突堤になっていて、くつろいでいる人や、釣りを楽しむ人の姿が並んでいる。

相変わらず空は真っ青で、突堤からも富士の姿が良く見える。風は少々強めだけども、澄み渡った空から注ぐ日差しが温かいので、屋外でもとても心地よい。

突堤にやってくる小魚の大群や、それをめがけて集まってくる鳥たちの群れ、そしてなかなか進展しない釣り人たちの釣果なんかを眺めながらの休憩が終わったら、ふたたび会場を見て回ることに。

051023g産直センターの入口近くに人が群れていたので何かと思ったら、そこは魚や水内際の生物に手で触れるコーナーになっていた。

ひとつの水槽に入っていたのは、例えばドチザメとか、ハコフグとか、ハリセンボンとか。
子どもたちが喜んでサメをなで回していたりしたけれども、自分として気に入ったのは、隅っこに丸まっていた小さなタコ。
小っちゃいと、どことなくカワイい。
それに吸盤に指を近づけると吸いついてくる感覚がどことなく気持ちいい。
うーん。やっぱりカワイい。

051023h帰りはバスでいったん城ヶ島に渡ることに。

城ヶ島大橋から見た夕暮れが近づく風景はなかなかのものだったけれども、走りながらの撮影ではさすがにうまく残すのは難しかった。

帰りのバスも、三崎港から三崎口までは満員状態。
でも往路と同じくなんとか座れたので、さらに重体が酷くなった約60分の道のりもただ揺られているだけだった。
座席に座れた乗客の何人かは途中で船をこいだりしていたけれども、自分もそんな中の一人。
前々から10月になったら引越も落ち着くだろうし、近郊へふらりと出かけてみようかというつもりではいた。

そんなことで、まずは品川駅まで行って購入したのがコレ。

051023a

三浦半島1Dayきっぷは、京浜急行が発行する企画切符で、金沢文庫以南の京急線各駅と、三浦市を中心にした区間の京急バスが乗り放題になる、お得な商品だ。
品川からだと1900円。ふつうに三崎口まで行っても900円かかるので、往復した上に現地で何度か乗り降りするならぜったいに得する切符だ。

今日の関東平野はすっきりと晴れわたっていた。
車窓からも富士山の姿がはっきりと見える。

051023b

目指すのは三崎港。
三崎港といえばマグロで有名なところだが、金曜日のテレビ番組で、今日に「三崎港町まつり」なるものが開催されるという情報を得て、急遽出かけることにした次第。

三崎口駅から三崎港へは、バスに頼ることになる。
ただ、片側一車線の道路は自動車でいっぱいで、どの車もいやおうなくゆっくりと進むことになる。

051023c40分と少々ほどバスに揺られて三崎港に到着すると、そこはすでにたくさんの人でいっぱいだ。
港の中は、本港の「うらり産直センター」の前と、新港の「三崎魚市場」の前を漁船が行き来していたり、城ヶ島までの渡船や、港内の周遊などであわただしく行き交っている。
この祭りの目玉はやっぱり直販での物産販売だろう。
となれば、とにかく会場に行かないとなんにも始まりはしない。
そんなことで、配布していたパンフレットを受け取って、人の流れに乗って会場を目指すことに。

051023d

メイン会場も並んだ販売ブースは人でいっぱい。
画像の反対側、背中側ががそんなスペースなのだけども、片隅にも行列ができていたので、まずはそこに並ぶ。

051023e並んだところで手に入れた、もとい、購入したのがこちら。マグロづけ丼、400円。
レディースサイズとも言える小振りの丼だけども、大きな切り身のヅケがしっかりと乗っかっている。これがまた、いい感じ。ヅケの存在感もさることながら、ふりかけてある刻み海苔がこれまた風味が良い。そしてゴマの香りも口の中に広がってくると至福の時ともいえる。これで400円なら、二つくらい片付けられそうにも思えたけれども、テーブルの後ろのほうで作っているのがけっこういっぱいいっぱいそうなのが丸見えだったので、遠慮しておいた。

他に、まぐろソースカツ丼(500円)や、イカまん(150円)、トロまん(250円)などを堪能。
マグロのカツは、赤身を分厚く切り出したのを揚げてあるところに、オリジナルのソースをかける代物。いやぁ、これもいい感じ。赤身のカツレツはさっぱりしていて、すっきりと食べることができる。
トロまんは肉まんの肉をマグロにしたようなもの。これまた肉じたいはさっぱりしているので、言われなければマグロだとわからないかもしれない。
意外と美味でヒット作だったのが、イカまん。イカの切り身と野菜のアンなのだけども、これがほんとうに旨い。なんというのか、さっぱりした八宝菜というか、コクのある旨煮というか。冷食でなければ買って帰りたかった……って、うちには蒸し器がありませんがね。 orz

いや、ほんとなら、せっかく激安で販売している場に行ったのだから、中トロとか赤身とか一夜干しとか買って帰りたかったのだけども、クーラーボックスを持っていかなかったことをただただ悔やむしかあるまい。

無制御な掲示板ならではのテーマの不在さと、靴の上から足を掻こうとしているのに口をはさみたくはないので静観してはいる。

けっこういろんなものを含んでいる発言がポップカルチャーの一角にあったので引用しておく。

プロは自信を持ちつつ慢心しない。



 どんなに絵がうまくても、プロになってしまえば「うまくて当たり前」。どんなに面白いお話が作れても、プロになってしまえば「面白くて当たり前」。プロの世界は、かように厳しいのだ!! しかし、自分が世界で一番面白い作品を描いているんだという自覚がなければ、プロのまんが家はやっていられないのも事実。この自信を持ちつつ慢心しないというバランスが大切なのだ!! みんなは作品を描いている時は、「自分は天才!」と思い、描き上がったら猛烈に反省しよう!! この切り替えもプロには必要なのだ。



(飯塚裕之 「バカでも描けるまんが教室 第16回 現実って?」 小学館 少女コミック 2005年22号)


直裁に語られていることはとてもシンプルだ。そしてシンプルだからこそ、いろいろなものを映しとることもできる。
ゆえにそこに含まれる事柄にまで思慮の範囲を広げれば、各々に適した指針を見つけることができるだろう。

そしてオリジナリティがどこから生じるかを考えてみれば、答えは自ずと見えてくるものだろう。
残念なことに、見えない人にはいっこうに見えてこないものかもしれないが、見えなければその先のステージは広がってはいない。

いずれにせよ、求めなければ何ごとも始まりはしない。
saku saku ではコーナーの区切りに視聴者からのイラストや画像を紹介している。

今日のそんな中の一枚は、夕方に手をつないで歩くイチノセ母子の姿。

ようやくご意見番ショックからも立ち直ろうとしていたというのに。

 。・゜・(ノД`)・゜・。


天気予報は、昨日から今日にかけては鉄板で晴れになっていた。

だから安心して、帰り道を原チャリで走りはじめたら、なにやら細かい水滴にぱらりぱらりとぶつかる始末。
ふと空を見上げてみれば、そうでなくても見えない都会の星はひとつも輝いていやしない。
薄いのか厚いのかさえもわからない雲が一面を覆っていた。

これって、どう見たところで「晴れ」ではなく。

まあ、そんなこともあるさと思っておくことにしますかね。
寒さ対策で持ってきていたフライトジャケットが簡易雨具として役立つことになってしまうとは思ってもいなかったけど。

それは大した降りにもならなかったから、良しとしますかな。
DoCoMo が発表した 902iシリーズの中に、ソニエリの端末も含まれていた!

これまでの動きからすると、こんどの年末商戦あたりではなにかあるかもしれないぞ、などと思ってはいたけれども、それがほんとうのことになるとは。
まだ通話可能な時間とかのスペックが未定のままだけども、Premini-II と比べて少し長くなって、ちょっと重くなっただけで登場するのだから、期待が高まる。カメラも CMOSながらも300万画素、メモステ Duo Pro も対応となれば有り難いもの。あとは Premini-II での AV機能をどこまで搭載しているかが注目どころ。505is でのビデオ機能もできれば欲しいところだ。なにせ外部メモリの容量が増大するのなら。

今度のキーを照らし出すLED は白色らしい。
ふむぅ。となるとボディカラーは赤が狙い目だろうか。

さあ、あとはいつ、いくらで登場するかが問題だ。
いや、値段の方はまあ、PHSの優待券がありはするけど……。
2ちゃんねるを眺めているとそんなスレはけっこう目に付くのだけども、ついに実際に威力を発揮するところも出てきた。

asahi.com の記事 講談社、盗用で漫画作品25点を回収・絶版
検証サイト

検証サイトを見ると、こりゃぁほんとにトレースしてるよなと思ってしまう。
確かにね、題材によっては資料集めとか大変だろうとは思うけれど、
でもそういう大変な素材に手をつけてしまったのも、作り手としての覚悟と責任の上であってほしいものだ。

あれ? そういや前に潜水艦ものの漫画で写真集を無断で参考にして問題になったのも講談社では? 体質ですか?

いや、他にも疑惑はたくさんあるので、講談社に限らず、これはまだまだ氷山の一角。
でもプロだったら、もっと著作権の意識はしっかりと持っていてほしいものだ。
「恋人たち」や「緑の星のオデッセイ」そしてリバーワールド・シリーズなどで知られるアメリカのSF作家が1985年に発表した長編作品

未来の世界は人口増加に対する画期的な解決方法を実現した。それは全ての人々が一週間の七日間のうち一日だけを生きるようにして、残りの六日間は「固定機」の中で非活性状態でいることにより、食料品や日常用品の需要や居住空間を大幅に減らすことができるようにすることだった。
こうして曜日毎にまったく異なった文化を持った世界が繰り広げられると同時に、政府による監視衛星、壁面テレビ、IDバッジなどによる個人の管理も進んでいる社会ができていた。

主人公は火曜日世界の警察官だ。それと同時に、犯罪行為である「曜日破り」でもあり、反政府組織でもある「イマー」の一員でもあった。
新紀元1330年(旧暦3414年)の第二月の火曜日、主人公はある曜日破りの捜査を命じられたことから、物語は大きく動き始める。

大まかな設定だけでもものすごい興味をかき立てられるのだが、ファーマーの力量はそれだけにとどまっていない。
曜日毎に異なる文化があるように、主人公は曜日毎にまったく別の人格を作り上げていて、曜日が変わるごとに別人となることを繰りかえしているのだ。そんな彼は水曜世界ではデータバンク職員、木曜世界ではフェンシングの教師、金曜世界ではテレビ番組のプロデューサー兼主演俳優、土曜世界では酔いどれのバーの従業員、日曜世界では厳格な神職者、月曜世界ではセントラル・パークの森林保護官として存在している。
それまでは個々の曜日の中でだけ生活をしていた彼らだったが、主人公以外の曜日破りの介入により平穏な生活から外れるのを余儀なくされていく。
そして次々とトラブルやアクシデントは発生し、やがては主人公は自らの存在を危うくされる局面にまで追い込まれていく。
奇抜な設定と、曜日毎に異なる世界を持ちながらも、飽くさせることなく物語を進めていくファーマーの筆と構成はなかなかに冴えている。実のところ後半になると一日あたりの分量が少なくなってはいるが、それ以上の密度とスピード感を持って展開していく。このあたりはSFだからこそできる部分も大きいのだろう。
そして終盤のクライマックスでなにげなく序盤に起こった出来事が振り返られるのは、ちょっとしたユーモアなのかもしれない。

さて、残念なことに現在の日本ではファーマーの著作はことごとく絶版になってしまっている。
この『デイワールド』も、本国ではシリーズ物として三作が刊行されているのだが、続編が邦訳されるどころの騒ぎではない。
リバーワールド・シリーズも含め、読み応えのある作品なので、是非再評価されて作品がふたたび世に出ることを期待したい作家の一人だ。



どうなるかと思ったけれど、夕飯に固形物を摂取しても大丈夫そうな感じが続いてる。

ようやく復調の兆しが見えてきた。
しばらくは暴食を控えて、養生しますか。
実は、病院に行く暇が金曜日までできそうもなくてどうしたものかと思ってたところだったから。
それでも先週までより、仕事の状況も落ち着いてきたことだし。
とにかく今は体調を戻すように気を配らないと。
いや、実は、昨日の昼間から腹痛はあった。

ここしばらく、夜遅くに食事してすぐにねてしまうから、胃を荒らしてるよなという実感はあった。事実、夜中に胃痛で目を覚ましていたりもしていたから。多分に胃酸過多による胸焼け。

しかし、夕方に帰ってきてからこんどは下痢がずっと続いている。
今ではほとんど水のような状態で、まだ終わりが見えないような感じ。いつもはここでだいたい落ち着くというのに。
朝になってもこのままなら、脱水症状が心配なので病院に行くことも考えた方がよいのかも。
いや、なんか今の状態だと、スポーツドリンクとか飲んでも吸収される魔もなく直通してしまいそうな気がする。

ともかく。
眠れるかどうかは別にして休んでおいて、様子をみるとしよう。
出かけたついでに、店頭で Macromedia Studio 8 のパッケージを見てきた。

買ったわけではない。見てきただけだ。手には取ってみたけれど。
当初は買ってしまっても良いかな、なんて思っていたのに、どうも店頭でいろいろ考えるとすぐに買う必要もないように思えてしまった。
たしかに Studio 8 に含まれる個々のアプリをバラバラに買っていくよりは安価ではあるが、それでももともとの価格が高いので、やはり 50400円という価格は簡単に支払うにはかなりの度胸が必要だ。少なくても自分にとっては。
そんなことで、今のところはちょっとばかりペンディング。そのうちに、ほんとうに必要になったときに再考することにした。
次のバージョンが発売になるまでは、アップグレードする権利は消失しないのだから。

一方、Canvas X はもっとはっきりと抑止の方向へ。
昔は紙でのプリントアウトも必要だったので、DTPをメインに使っていたけども、今はそんなに必要もないし。
ペインティングは Photoshop を使ってしまうと、やはりそこから抜け出すのにはかなりの努力が必要になる。
ドローイングは今のところ必要性は低いし、Hreehannd があるし、簡単なものだっら、Fireworks でも代用できてしまうし。
ある時期から Canvas に導入された、強力な消しゴムツール (ドローイングのオブジェクトにまで作用できる) は魅力的だけども、今のところその必要性が少ないので固執するまでのこともない。

そんなことで、当面の大きな出費は抑制……ほんとうにできるのだろうか(苦笑)。
帰り道、幹線道路で見た光景。

黄色い旋回灯を点灯した大型トレーラーが比較的ゆっくりと走っていた。
トレーラーというと、大きなコンテナを引っぱって走っているところを想像するかもしれないが、そうではない。骨組みだけのようなひょろっとした、だけどもとても長い台車を引っぱって走っていた。
それもご丁寧に、骨組みの中心部に、赤い提灯に電球を仕込んだものをいくつかぶら下げている。

もしかして、コンテナを運び終えて戻ろうとしているのだろうかとも思ったがそうでもなさそうだ。実は目に入る範囲に同じような大型トレーラーが三台は走っていて、その前後と中間部には、やはり黄色い旋回灯を回した普通乗用車が寄り添うようにはしっている。
どうやら、縦に長い隊列を作って走っているようだ。そこにはなんらかの意図がありそうだった。

いったい何ごとだろうと思いながら、横の斜線で追い抜きながらトレーラーの様子をよく見てみると、それは空荷ではなくて、なにか細くて長いものを運んでいるようだった。
もっと接近した際に見ると、どうやら荷物は電車のレールらしかった。レールを数本単位でまとめたものを三つ程度を一台のトレーラーが引っぱって運んでいるようだった。

なるほど。
確かに鉄道の作業現場にいきなりレールが出現するわけではない。
こうやって運んでいたのだなと初めて目の当たりにした光景だった。
ある母集団を設定して、その属性のひとつに注目したとしよう。

ほとんどの場合、属性についてはまったく均一ではなくある程度のばらつきがあるだろう。
もしその属性が数値化できるものであれば、そこには平均値を求めることができ、平均値からのずれは偏差によって示すことができるようになる。母集団に属する要素がよほどひどく正規分布からずれていない限り、平均すなわち大勢からのズレの程度は偏差の値の大きさで量ることができる。

さて、ここで考えてみる。

偏差が極度に大きい要素が存在できるのは、母集団にそれなりに「余裕」が必要なのではないだろうか。
たとえば、生物の集団を考えてみた場合、大勢から大きくずれた固体が生存できるためには、集団にそれなりの余裕がある、すなわち他の固体にそこそこの余力がなければならないのでは、などと考えてみる。
これは言い方を変えれば、偏差が大きい要素は、余裕のない母集団には存在できないということになるのではないだろうか。

さあ、ここでさらに考えてみる。
自分のある行動が、自分の属する母集団には受け入れるだけの余裕があるかどうかを。
これを考えて未rのは、判断はすぐにはできないことかもしれないが、重要な項目かもしれない。
アップグレード価格が税込み5万4百円。

覚悟していたとはいえ、ちょっとした出費だ。

今回、驚いたのは発表と同時に販売も開始していること。
メールがいきなり今日届いていて、それだといつから販売かわからなかったのだけども、マクロメディアのサイトでニュースリリースを確認したらびっくりしてしまった。

しかし、そこまでして話題を作りたかったのやら。
プロ・ユースのWEB用ツールとしてはトップのポジションにあるはずなのに、もしかしたら一般向けの製品分野への切り込みでも狙っているのだろうか。
むしろそちらに向かうのなら、Flash や Fireworks の切り売りを進めていった方が良いのではないかと思う。

ただ、Fireworksは、これから合併するAdobe の Photoshop Elements と大きく被る製品だし、Flash はサードパーティの廉価製品の方が売れているのかもしれない。
いずれにせよ、今までのまま、プロ・ユースの製品展開だけで生き残っていけるのかの正念場が迫ってきていることには変わりはない。

それはともかく。

Canvas X のアップグレードのお知らせも届いていたし……。
嗚呼、いったいどうしろというのやら。
それでも日陰にはいると空気がヒンヤリとしている。

ふと気がつくと、10月も上旬がもう終わってしまっていた。そういえば今日は市街を走りながら一瞬、キンモクセイの花の香りを嗅いだような記憶があったのだけども、思い違いだったのだろうか。
いずれにせよ、どんどんと季節は秋になっていっていることに違いはない。
今年はこのままだと、バタバタし続けて、気がつくと冬になっていたとしても不思議ではないように思える。
部屋にはエアコンがあるから暖房には困らないだろうが、それにばかり頼ることの無いよう、冬物の荷物の整理も忘れないようにしないとならない。
いやいや、それにしても朝晩の冷え込みは始まっていて、すでに毛布にくるまっていないと眠れなくなってきている。
油断は大敵。時間がとれるうちに、やれることはやっておかないと、あとで悔やむことになりかねない。

はてさて。そうはいっても、なかなか上手くいかないのが世の中の理というもの。次の週末の天気予報はまたしても雨模様。困ったものだ。
夏くらいから、不要なメールがどっと増えたように思う。

メインで使っているメアドは、サイトで公開しているので、ある程度は勝手に拾われてもしかたないと思っているし、以前からパラパラといわゆる迷惑メールの類も届いていた。
それが夏あたりから、量がどっと増えたように思う。
大方はサーバー側のフィルタで選り分けてしまっているので目を通すこともないが、最近はフィルタの設定を工夫しないといけないものが増えてきていて、そろそろ見直しも必要そうだ。

さて、それで、メアドをお知らせしている方々にここでお願いをいくつかほど。

実は次のドメインからのものはフィルタリングしちゃってます。

  aol.com
  yahoo.com
  docomo.ne.jp
  hotmail.com
  yahoo.co.jp

時々、フィルタの動作状況を見ていると、いまだに docomo.ne.jp と yahoo.co.jp を使ってくるものが多いので、この二つは当面設定したままになると思うので、ご注意ください。

それから、件名には必ず二バイト文字を混ぜてくださいませ。ANKだけの件名のメッセージもフィルタリングしちゃっていますので。

ご面倒でしょうが、なにとぞご理解の程をよろしくお願いします。

 m(_ _)m


五年に一度の一大イベントも、なにかと話題になっているようだ。

正直言うと、たとえ法律云々を振りかざされても、あまり積極的に提出する気にはなれない。現に今も調査票は手元に置いたままだ。
密封して提出する封筒が付いていようとも、調査票に行政機関に渡る前に一次集計するような項目が「記入する必要はない」と明記して存在するのが不気味だし、電話番号や勤務先の名称まで記入して、いったい何に使うというのか判然としないのは協力的な態度を取りづらくさせてしまう。
実際にその二つの項目については空白のまま手元に残している。もうしばらくの間、行政の態度を見まもりつつ、このまま提出せずにどこかで自分の手で焼却することになる可能性が高いと思う。

だいたい地域によっては九月中に回収してしまったなどというところもあるようなのだが、そんないい加減な調査にいったいどれだけの意味があるというのだろうか。
どんなことをやったところで、紙の上だけでは絶対に把握できないものは存在するのだし、曖昧なものをいい加減な運用する調査など、端から信用する気にはなれない。
さて出かけようとした矢先に雨が降り始めてしまって出鼻を挫かれたので地元で食事をして雑誌を買って帰ってしまった。

別段、連休中に一日か二日出れば良かったものだし、10日発売の雑誌が繰り上がって店頭に並んでいるだろうし、などと自分に言い訳をして、部屋でLaLaDXをひたすら読んでいた。
なにせ相手は900ページ超の代物。さすがにすべてに目を通すわけではないけれども、読むにはそれなりの時間がかかる。それでも光っている物語があったりするので、じっくりと目を通す。

物語といえば、長年にわたって紡ごうとしていた物語はようやくわずかずつではあるが形にし始めている。その一部はそのうちに上梓することができるだろう。長年にわたって抱え続けていただけに、それはそれで良い方向に作用しているのだろうと思いたい。
その時々に書きたいと思っているものも変化をみせている。
学校を出たばかりの頃に自分にとって重要だと思っていた作りかけの物語は今となっては色褪せているところが多い。年月を経る中で世界が変わり、自分も変わり、中でも「死」が他者のものではなく自分自身の問題として実感するようになったことが大きく影響しているように思う。
そんな自分の、最近の大切な物語は以前から口にしているまったくの新しいシリーズとして準備中だ。
準備中とはいっても具体的に何かをしているわけではなく、コアになるイメージを繰りかえし練っているだけで、実際に書き進めるのはまだ先のこととなるだろう。

それでも書きたいという気持ちは強まってきている。
そのうちに、具体的なものにすることが始められることを祈りたい。
例えばだ、なんらかの物語に接している途中で先の展開とか、設定の仕掛けに気づいてしまったらどうだろう。

もしかすると、作り手はとんでもない下手くそなことをやってしまったと物語を見捨ててしまうのだろうか。それとも、その先の物語が想像したとおりに進むのかとわくわくしながら続きを求めるのだろうか。

前者のようなものは、そこらに溢れているわけだが、後者のように受け手から期待を持たれるようなものは、なかなか世に出てこない。
それだけ、いわゆる「お約束」の力は強大で、受け手の期待に応えられないようであれば、「( ´_ゝ`)フーン」で終わってしまう危険が大きい。お約束通りに展開するか、期待を良い意味で裏切っていくか、いずれの方向に向かうにせよ受け手を離れさせないためには、作り手のセンスと技量がかなり必要になるだろう。

後者で成功したものだと、ここ数年ではテレビ版の「ウォーターボーイズ」があると思う。
基本的な物語の構造は映画版で広く知られている。だから最後はイベントが成功するのだろうと受け手は期待をしている。そこへ至る大きな流れはお約束通り進むのだが、それでも飽きさせない。
その上、個々の細かいエピソードの積み重ねもお約束のオンパレードなのだが、これが非常にテンポ良く展開するから見ていてとても気持ちがよい。個々のエピソードはお約束通りなので、下手をすると陳腐さの氾濫になりかねないのを、テンポの良さがそれを上回っているだけに、飽くことなく見続けてしまう。これこそ作り手のセンスの如実な現れだろう。

いずれにせよ凡人にとっては簡単に成功に至る道ではなく、常に努力を重ねても待ち受ける困難が大きい。
それだけ「お約束」のメソッドは安直に使える代物ではないということだ。
先週後半から、仕事がけっこう立て込んできている。

10月に入ったら、新居の荷物の整理をしないとな、などと考えてはいたのだけども、そんなこともあっていましばらくは積み上げた段ボール箱を眺めながら生活をすることになりそうだ。なにせ仕事の方を片付けてしまわないとどうしよもない状態だから。

先週は、その日のうちに終わらない作業が二日連続してしまっただけだけども、今週に入ってからは相当量の作業が必要なものがずっと続いている。
作業自体は他の担当の受け持ち分なのだが、明らかにマンパワー不足が目に見えて明らかなので、自分の空き時間に応援という形を取っている。
基本的には楽しんでやれる作業だから助かってはいるけれども、それでもやっていると精神力がかなり削がれていくし、妙な具合にテンションが上がってしまうので (テンションを上げないと、効率よく作業が進まないので) 、いつもとは違った疲労感に襲われることになる。

この疲労感にはなにか覚えがある種類のものだ。
そう、根を詰めて執筆し終えたときのものと似ている。
そんなこともたって、ここ数日、なんかを自分が作り終えたような錯覚に囚われている。

でも、実際はなんにも書いてはいない。
これも10月に入ったらまた進めようかと思っていたものではあるが、いま少しばかり先送りすることになってしまいそうだ。
天候が優れなかったりしたので、今週はずっと電車で移動していた。

そんなことで、土曜日に使って以来、久しぶりに原チャリに乗った。
今日は雨が降らなさそうだったし、その上仕事の終わりがどうなるかわからなそうだったから、原チャリが使えるのならとてもありがたいことだったから。

あらかじめ予測していたことではあったけれども、エンジンのかかりが悪いし、ふけも悪い。
やはり空気が冷たくなってくると、ほんの数日放置しておいただけで、ちょっと機嫌を損ねられてしまう。

でも勘弁しておいてほしい。
最近は雨の降る中を運転する元気も気力もないもので。
せめて天気の良い日はなるべく火を入れるようにするから。
だから、あんまり機嫌を悪くしないでほしい。
大切に、とっても大切にするから。
ゲームはしなくても、キャラが良ければ買ってしまうのが、P:キャラ

逆に言えば、キャラが気に入らなければ、フルバのように買わないものもあるわけだけども、今回のはなかなか良い感じ。

051005a

それにしても、二人揃って入っているパッケージはデカい。
エヴァピンのときも二人が入っていたけど、それよりさらにデカい。

いや、たしかに迫力が凄いのはわかるので……。

今回はかなり抽象的に、婉曲的に。

とあるファンタシーなものに触れる機会があった。
なぜファンタシーかというと、あきらかにそれは虚構である上に、現実にはあり得ないものだからだ。
ありえないのだが、それは求められるものでもある。いわば妄想の結晶なのかもしれない。

客観的に見れば、妄想の結晶であるがゆえに、それはますます現実にあり得る範疇から逸脱していく。しかし、妄想としての虚構内でのリアリティとしては、そのあり得ないことこそが、お約束の象徴なのだろう。
だから客観的に眺めてしまえば、それはただ気持ち悪いだけのものでしかない。ある意味では醜悪な形ばかりがならんでいるからだ。
しかし妄想を求めるものとしたら、妄想と承知の上で、そのディティールやリアリティを求めて、自らの妄想の再構築のために役立てることになるのだろう。

それは、妄想を求めるものが虚構として認識した上で、その世界の内部だけに存在すると理解しているのなら、まだ問題は少ない。だが、現実と混同する傾向は皆無ではない。
すると現実の側からすれば、妄想のどこまでを、現実に害をもたらすものとして認識すればよいのだろうか。

すごく難しい問題が、そこには横たわっている。
電車で移動していたら、帰りは「人身事故のため全線で運転を見合わせています」な状況に遭遇してしまった。

乗り換えで通路を歩いていたら、改札の前の流れが悪くなってるなと思ったら、電光掲示板に運転見合わせの情報が流れていた。
行程的には終盤近かったし、以前はそんなに時間かからずに運転再開したから、今度もそんなにかからずに帰れるだろうと、改札を通って真っ先に発車しそうな列車に乗り込んだ。
車内は立っている人も多かったが、猛烈に混んでいるわけでもなかったので、隙間に身を滑らせてぼけーっと動くのを待つことにしていた。

駅というロケーションのためか、情報はそれなりに入っているらしく、ホームや車内に時折り状況が案内される。「救助されました」とか、「車輌点検を行っています」とか。大きな事故や故障などで長い時間車内にいた人へのインタビューがニュースで流れたりするが、そんな中で「なんにもアナウンスがなかった」とか言われることが多いと思っていたら、そうでもない状況に感心していた。
ただ今回は、それが少し裏目に出てしまうことになった。
「車輌点検が終了しましたので、まもなく運転を再開できる模様です」でほっとするのもつかの間、すぐに新しい情報が。「警察の現場検証が入ってしまいました。運転までしばらくかかる見込みです」
その後はそんな状況がしばらく続く。現場の様子は「開通していますが、警察の現場検証が終わらないと電車を動かせない状態です」と何回も繰りかえす。代替輸送の案内も流れ、ぽつりぽつりと降りていく人もいるが、自分の場合は二つほど迂回ルートはあっても乗り換えの手間や駅から歩く距離がちょっと面倒だし、しんどい。ひたすら運転されるのを待つばかり。
他にも車内に残っていた人たちの、はたしてどれだけの数が同じことを考えていたのだろう。「●●警察署、さっさとやることを終わらせろ」と。

けっきょく電車が動いたのは、本来の発車時刻の64分後。
これじゃあシートに座れた人たちも疲れたことだろう。
刀削麺といえば、映像では見たことがあっても実際に食べたことは実はこれまで無かった。

先月オープンした秋葉原のヨドバシカメラの建物で、レストランフロアに刀削麺の店ができたとなると、これは行かないわけにはいかない。たとえそれがチェーン店であったとしても。
そんなことで、オープンから少したって落ち着いているかもしれない秋葉原の新スポットまで行ってみた。

051002aまだお昼時という時間帯だったのだけど、ちょうど席が空いてるタイミングで行けたので、待つことなく座ることができた。
店頭で削りっぱなしの厨房の中の様子を眺めながら、到着を待って出てきたのが初対面の刀削麺。

今回は担々麺風のものを頼んだので、挽肉と青菜だけが具材で、アクセントにパクチーが乗っかっている。スープはきっちりとゴマ風味。辛さは控えめになっているので安心して食べることができる。
ちなみにパクチーは好みのよってオーダーの際に外すこともできるとのこと。

051002b麺は確かに長くなく、存在感たっぷりの太さ。隣のテーブルで「きしめんみたい」なんて言ってる声が聞こえたけど、きしめんよりもっともちもちしている。それと鹹水を使っていないのか、素直な小麦粉の香りが広がってくる。

リズム良く小麦粉の固まりから削りだしているのに、太さというか大きさが揃っているのはさすがに職人芸だ。

店員が「エプロン使いますか?」と紙エプロンを手に聞いて回っていたが、その理由が良くわかった。
麺が短いからか、それとも箸から滑り落ちることがあるからか、意外とスープを周りにまき散らす。
器の上空から口を放しすぎると大惨事が待っているかもしれない。要注意。

051002cこちらは一緒にオーダーした鉄鍋餃子。小さな丸い鉄鍋の中に入って登場。

サイドの皮が開いた状態の餃子。
でもアンの肉はしっかりと火が通って崩れないようになっているし、ニラがきちんと効いている。
噛んだ瞬間にスープがじゅわっと出てくる餃子を好む人には合わないだろうが、アンを楽しむには良い感じだ。

この店、都区内にはいくつも支店があるようなので、食べたくなったら気軽に行けそうだ。

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