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自動リンクでいったいどんな商品がピックアップされるのか実験も兼ねて置いてみました。 はたしてこのブログはamazon的には……。



載せてみたりする。

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セブンイレブンの総菜、チキンのチーズ焼き……。

こんどは大丈夫だろうかと思っていたら、またダメだった。
店頭で温めてもらうと、帰ってきて袋から出してみると外側のラップに汁がたっぷりと溜まっている。
容器の形が悪いのか (深さが足りないと思うし、蓋もしっかりと密閉できるタイプではない)、それとも電子レンジの使い方が間違っているのか (これの場合は温めすぎ。他にも、温め足りないなんてのもザラで、どうもバイトで職業意識が高い人材はそんなに多くないのかもしれない)、二度あることは三度あるだろうから、これからはもう買わないことにした。
手をべとべとにしてまで食べたくはないし、味にしてももう少しスパイスがきいていた方が好みだし、これで見切りを付けることができた。

まあ、根本的なことを正すとしたら、コンビニ弁当生活を改善しないとどうしようもないのだろうが。
経営不振だったとは知らなかった。

少し前に新宿南口近辺を徘徊していて、「そういやLUMINEに本屋があったなぁ」と思って立ち寄ろうとしたら、店内の案内板から名前が消されていた。
そんなに足繁く通ったというわけではないけれども、ちょっと「濃い」本が置いてあったりして、たまにのぞくと面白い場所でもあった。
それだけに急に無くなってしまうと、ちょっと不便な感じもしてしまう。

それでふとニュースを眺めていると、経営がどうこうといった記事が載っているのを見かけた。
どうやらそれで店舗を閉めていたらしいが、六本木店と青山本店では営業を再開することになったらしい。
書店の経営が危なくなるというのは、売り上げの推移や、市場の動向から、その危機は言われていたものであるけれども、ある程度の規模の書店でも無関係ではいられないほどになっていたとは思ってもいなかった。
広いスペースに、たくさんの本が並んでいる光景というのは、どこか安らげるものがある。無くなってほしくはないものだと思う。
リアルタイムで中継できる枠を確保できたらそのまま放送したいというのは分からなくもない。

しかし、ある程度定型化している日ごろの情報提供の場を変えてまでそうするのはどんなものだろうか。
たとえば天気予報。雨傘を持ち歩いた方がよいのかという些細なことを含め、その日の行動に影響を及ぼす情報は、期待しているときに期待しているように得たいものだ。
同様に、ヘッドラインだけでも良いから、主要なニュースもできるなら知りたい。
そんなものはいざとなればオンラインで入手できるものなのかもしれない。でも、少なくてもマウスでの操作を必要とするものと、電源さえ入っていれば他のことをしながらでも情報を得られるメディアとでは、使い勝手が同じであるとは思えない。
公共性。そこに求められるのはなにか、そのために必要なのはなにか。いろいろと論議があるところだろうとは思うが、少なくともそこには他国同士が試合をしている競技の中継ではないだろうと自分は思う。
仕事場に行こうと、駅に向かっていたら行く手に救急車が止まっているのが目についた。

近くまで行くと、十数人くらいの人だかりができている。反対側の和菓子店の店員が客と一緒に扉の前に立って様子を見ている。路線バスが三台ほど連なって、窮屈そうにゆっくりと車線をはみ出して通り抜けようとしている。そういえば人だかりの脇に、中途半端な位置にワゴン車が止められている。
人混みに近づくと、救急車からはストレッチャが下ろされているところだった。人だかりの中には、自転車で駆けつけた警官が一人と、何人かの救急隊員の姿。「首を前に……」といった声が聞こえてくる。
野次馬に加わっているほどの時間の余裕もなかったので通り過ぎながらちらりと見ただけだったが、交通事故だったらしい。(たぶん) 女性が歩道に横たわっている。
そういえば、ワゴン車の前部が凹んでいた。近頃の乗用車の外装は柔構造を取り入れているとはいえ、そこそこの衝撃が加わったのだろうと思われる跡だった。
どんな状況で事故が起きたのかはいろいろと想像できるが、運転する側も、歩行者も、油断していたらいつ当事者になっても不思議ではないなと再認識させられた出来事。
こういったもの(↓)が届いた。

Return-Path: <half_moon202000@yahoo.co.jp>
Received: from steak.annie.ne.jp (EHLO nsteak.annie.ne.jp) (202.215.247.5)
by mta27.mail.mci.yahoo.co.jp with SMTP; Thu, 26 Aug 2004 16:00:11 +0900
Received: from HP10467327151 (sip-tokyo-1-182.dsnw.ne.jp [61.213.141.182])
by nsteak.annie.ne.jp (8.12.6p3/8.12.6)
for <****************>; Thu, 26 Aug 2004 16:00:09 +0900 (JST)
(envelope-from half_moon202000@yahoo.co.jp)
Date: Thu, 26 Aug 2004 16:00:09 +0900 (JST)
Subject: どもども☆はじめましてなのです♪
From: half_moon202000@yahoo.co.jp
To: ****************


はじめまして☆平田と申します。えーとですね、

以前メル友募集してましたよね??その書き込みに

とても興味を持っててアドレスを控えてたんです。

ちょっと前の書き込みでしたけど。

ぜひぜひ仲良くなりたいと思ってるんです☆

自己紹介を致しますね☆

平田智美、22歳でフリーターをしております♪

趣味は旅行以外では読書で、好きな作家は筒井康隆さんです。

スリーサイズはまだ言わないほうがいいかな(笑)?

そんなワケでして、平田、お返事待っております!

趣味や、どこに住んでるのか教えて欲しいです☆

あ、あと何て呼んだらいいでしょうか?平田のことは、

平田と呼んでください☆



--

<half_moon202000@yahoo.co.jp>


なんというか……。こんなのに引っかかるのがいるの?
まあ、いまだにウィルス・メールが届いたりするんだから、無防備というか、無知な人々はいるらしいけれども。
それに、Outlookの類を疑うことなく使い続けてる人々の多さにも呆れるしかないし。

というか、何、この下手くそな文章……。


今日、ペリカンさんが連れ戻してきてくれた(はぁと)。

モデル固有の、液晶パネルのヒンジがゆるゆるになる問題が気にならないくらい、キツく締まっていた。
モデル固有の、平らなところに置くと多少ガタガタする問題がなくなっていた。
電源もちゃんと入った。
HDDは初期化されていなかった。
液晶画面もキレイに映るようになっていた。
修理前にあった、ドット落ちもなくなっていた。

やったじゃん♪

でも、その代償は…………。

 _| ̄|○

今ごろ聞いているというのもどうかと思うけども < ドラマCD

こういうものに、過度な期待をしてはいけないというのは分かっているのだけども、どうにも、「やっちゃった」なところが耳に付いてしまった。そう、安直なアニメのドラマ化にありがちな安直な演出とかが。
というか……「そんなセリフ有りか?」と思ってしまった。セリフ自体を臭いものとして逆にギャグとしてしまう手はあるのだけども、それにしても中途半端に非道いセリフが……。
音声ドラマの質を破壊した存在を改めて認識してしまった……。はぁ……。

さて。

久しぶりに週刊少年サンデーで椎名高志の絵を見かけた。なんでも短期集中連載だとか。
特殊能力を持つ10歳の少女三人組が主人公なのだけども、読みながら、どうもついつい、かわねぎさんの作品のヒロインたちのイメージが脳裏から離れようとしなかった。設定が似ているというわけでもないのに、なぜだろう……。
うーむ。疲れているのだろうか (苦笑)。
どこかに作家が短編と長編の違いについて語っていた文書があったな、と探していたのがようやく見つかった。

それは『THE BEST OF PHILIP K. DICK』の巻末に 「著者による追想」と題された後書きの中にあった。(日本語訳は、早川書房 『ディック傑作集2 時間飛行士へのささやかな贈物』に収録。)


 長篇と比べて、短篇の利点は、主人公をその人生のクライマックスで捕らえられることにある。長篇では、主人公が生まれてから死ぬまで (またはそれに近い期間) を追っていかなくてはならない。ためしに、どんな長篇小説でもいいから、でたらめにページをひらいて読んでみたまえ。たいていの場合、そこに起こっている出来事は退屈であるか、でなければ重要性がない。それを補う唯一の方法は、スタイルである。なにが起こったかよりも、どうそれを語るかに重点をおくのだ。こうして間もなくプロの小説家はあらゆるものをスタイルで表現する技術を身につけ、内容が失われていく。しかし、短篇の場合、それでは通らない。なにか重要な出来事が起きる必要がある。才能に恵まれたプロの小説家たちが、しだいに長篇に転向していく理由はこれだと思う。いったん自分のスタイルが完成すれば、もうこっちのものである。たとえば、ヴァージニア・ウルフも、結局なんでもないことしか書かなくなってしまった。

 ところが、いま思いだしてみると、これらの短篇は、いつの場合も、それを書こうとする前に、まずアイデアを必要とした。そこにはなにかの具体的な発想──その上に物語を組み立てていくための現実のもの──が不可欠だった。つまり、「なになにのことを書いたあの話を読んだか?」という質問が可能になるような小説、内容を一言で要約できるような小説でなくてはならなかった。もし、SFの本質がアイデアであるならば (ウイリス・マクネリー博士はそう主張している)、もし、本当にアイデアが真の〝ヒーロー〟であるならば、短篇SFはSFの最高の形式であり、長篇SFはそこから枝分かれして伸びていく扇形のひろがりだといえるだろう。わたし自身の長篇の大半は、初期の短篇を発展させたか、いくつかの短篇を融合したもの──重ねあわせたもの──である。その胚芽は短篇の中にあり、ごくリアルな意味で、それがほんとうの蒸留液なのだ。そして、わたしの最高のアイデアの中のいくつか、わたしにとって最も重要なものは、とうとう長篇に書きのばすことができなかった。いくら努力をしても、それらは短篇の形でしか存在できないらしい。


蛇足ながら、この訳出文、漢字の使い方のサンプルとしても実に良いものとなっている。翻訳された文章としての美点に基づいたものが無いわけではないが、浅倉久志氏による作業だ。

それで、論旨の一つは、短編には短編に向いたアイデアがある、ということだろうか。しかし同時に短編はアイデアだけではいけないということも示唆されている。
つまるところ、主人公の人生において最大のイベントが発生する必要がある、と。
となると、短編小説にはひょっとすると長編を構想するよりも、アイデアとセンスと技術を必要とされるのかもしれない。

まだまだ精進しないと……。
今日、修理の見積もりの連絡が入った。

内容としては、液晶パネルの交換で、部品代 ¥56,700、技術料 ¥13,000 に消費税を合わせると ¥73,185 。

すごく痛い臨時出費。 _| ̄|○

でも、このノートPCが無くなるととても戦力が乏しくなってしまうし、修理することに。
DOOM3のためにビデオカードどころか、PC新調しようとしてたのは、本当に夢と消えてしまった……。
なにかとヤバいので注意していたのにエアコンの設定やら気候の急変で体調を崩してしまう。

なぜにヤバいかというと、喘息持ちはそうでなくても呼吸機能が低下しているというのに、そこへさらに鼻づまりやらタンがからむという症状はほんとうにヤバい。
実際のところ、自己管理のために計測しているピークフローの値がイエローゾーンに近づきつつある。イエローに対するグリーンにしたところで、健常な状態での期待値に対して80%以上という範囲なので、本来あるべき数値から比べたら、イエローゾーンはかなり落ち込んでいることになる。これがこのまま低下していく一方だと、早いうちに医者の門を叩かないといけなくなってしまう。注意しなければならない。

そして一月もすると、またキンモクセイの香りが漂う季節がやってくる。
それは喘息持ちにとっては大きな発作が起こりかねない季節の到来でもある。
しばらくは無茶をせずに、様子を見ながら過ごしていくしかない。
勝手にノスタルジーなシリーズ(笑)。

ふだんはそんなに意識することもないかもしれないが、何かの拍子にはっと気がつくと急に存在感が増すもの。そんな感覚がたぶん嗅覚。
それは記憶の中にあるものでも同じ様な働きをするものがあるらしく、単なる匂いの記憶だけに終わらず、その時のもろもろの出来事が一つの塊になって呼び起こされることがあると言う人もある。

自分の中で、記憶に残っている匂い……。

新しい畳。
雷雲が近づく前の空気の中に満ちるイオン。
真夏の雨に濡れ始めた地表。
静かに燃える蚊取り線香。
春のジンチョウゲ、秋のキンモクセイ。
線香花火の爆ぜる黒色火薬。
自転車のチェーンにさす機械油。
キノコの生えそうな雑木林。
手に触れる産毛が柔らかい桃の実。

すべては遠い日々の出来事。
東京や近郊では梅雨が明けてからのこの時期、各地で花火大会が盛んだ。

でも郷里での感覚では、花火は秋とか初冬のものだと今ですら思ってしまう。
そこでは9月に入ると、各地の神社で秋祭りが順番に行われる。そして大概の場合は、打ち上げ花火が奉納される。ピークになると、毎晩どこかしらから火薬のはぜる音が響き、うまくすれば遠くに上がる炎の形を眺めることができた。
実家に近い神社では、中でも仕掛け花火が派手におこなわれるところの一つで、それと合わせて社殿からすぐのところから打ち上げられる花火を真下から眺めるのが良い気分だった。

もう一つは商工会が中心になっておこなわれていた煙火大会。
本来、打ち上げ花火は空気が澄んでくる冬の方が見るには適しているらしいのだけども、晩秋にあったこの大会は、子どもの頃から楽しみだった。
ただそのおかげかどうか、どうやら最大で20号が打ち上げられるのが当たり前のような感覚になってしまっていて、上京してから目にする花火がどうにも小さく見えてしまって、しかたがない。

ときどき、帰省してまた見てみたくなる。
ただ、なかなか日程がうまく合わずに実現しない。
もし、願い叶うなら、その時目にする花火は、記憶の中と同じくらいに鮮明なのだろうか。
それは昨日、2年半以上使ってきた VAIOノートの電源を入れたときのことだった。

いつもと同じように起動していくだろうと思いきや、なにやら液晶画面がお茶目な状態に……。
いや、お茶目なんてものではなく、とても言葉には表せないような幾何学模様が……。
目の錯覚、気の迷い、ちょっとしたマシンの不機嫌だろうと思い、一度電源を落として再度投入……変わらない。
もう一度やりなおして……変わらない。
どうやら致命的に液晶回りをやってしまったらしく、サポート窓口に電話をする羽目に。

でも、VAIOの修理受付って、基本的にセンド&リターン方式。それもSONYの指定業者によって。
東芝とかだったら、秋葉原のセンター(今もあるかな?) とか、中村橋のセンターに持ち込んでということもできたのに……。
どう考えたって、運送の費用は修理代金に上乗せされちゃうわけで。全国規模で対応してることを考えると、そこそこのコストがかかってるはずなのに。
そうは言っても、それしか選択肢がない以上、それに頼るしかない現実。

そんなわけで、愛機はつい今し方、ペリカンさんに運ばれていったのでありました。
ドナドナドナードーナー……。
どんな見積もりがやって来ますやら。
ドナドナドナードーナー……。
高くつきませんように……。(切実)
やっているとついつい観てしまう。

事前にはそんなに意識していなかったというのに。
でもなぁ。TBSの枠で篠原の姿を見ると、シドニーの雪辱ってのがついつい思い出してしまう。
寝ていなきゃいけない時間帯の放送だというのに、やっぱりついつい観てしまう。
体調を悪くしないように気をつけないと。




昨日の結果……。

そう繰り返し聞かなくても良さげな雰囲気。



ココロちゃんって、あんなだったのかぁ?……………

いっしょについてくるものが、「当たり」なのか「外れ」なのかを賭けてみる。

だって、それだけコストがこれまでよりも高いものだから。
外れてしまったらちょっと悲惨。
だから怖くてまだ結果は調べてみてはいない(苦笑)。

040818.jpg

しかし、この組み合わせだと、すんごくバランスが悪い。
すぐ転んでしまいそうで……。
発売前だけども、二度ばかりオンエアで目にして……。

事務所はどうしたいのだろう?
せっかくの二人を殺してしまうようなあの曲。
セカンドシングルで、あの内容、あの出来。
「堂本兄弟」に出ているのを見て、「ポンタにあんな曲叩かせるなよ」と思ってしまった。

ま、狂信的なファンではないから、気に入らないものは買わないですませてしまうだけなんだけども。
前回に引き続き、ぼちぼちと読み進めている。

物語はいよいよバラモンを統べる神々に対して主人公は反旗を翻すことになる。
しかしそれは力と武術を誇示する闘いではなく、現世のあり方を空だと説く、経典の教えそのままの形を説いて回ることによってなされていく。まさにそこでは、現世のみならず転生した後の全てもが徹底的に管理されたものであり、真の世界の有り様は別に存在していると説いているものと等しい。
やがて天上を支配する神々の一人、破壊の女神カーリー配下の暗殺者が主人公に差し向けられるが失敗に終わる。主人公はカーリーを祀る神殿を去る際に、女神の像に向かってこう告げる。

「わたしはすでに、あんたがもとにもどすことのできないことを始めてしまった。すでに多数のものが、あの古い教えを聞いた。あんたはそれが失われたと思っていただろう。わたしもそうだ。だが二人ともまちがっていたんだ。あんたが支配の道具に使っている宗教は、なるほど非常に古い。しかし、わたしの行っている抗議(プロテスト)だって、おなじくらい古い伝統があるんだ。だからわたしをプロテスタントと呼んでくれてもいい」

(ハヤカワ文庫 深町真理子 訳 第三章より)


そして天上からは死神ヤマが討伐のために遣わされる。が、主人公とは雌雄を決することなく二人は行く末を別のものとする。主人公の策略と、主人公を取り囲む信奉者たちの壮麗な幻想を見せつけて。

この章での白眉は、武闘家を自認する死神ヤマと、その行く手を阻もうとするものとの戦闘だろう。
剣と剣を、拳を、そして肉体どうしをぶつけ合って丁々発止とやりあう光景は、息をのんで読み進めることになると思う。

ゼラズニイの筆運びはますます冴え渡っていく。再び相見えんことを仄めかす主人公と死神。さあ、そこはどんな光景になっているのだろう?
その時の細かい状況なんて。

でも、そういったことで死亡することがあると言うことは聞いてはいたけども、自分がほんとうにそうなりかねない手前になるとは思っていなかった。
そうでなくても、ヤバイ病気を持っているというのに、予定外のところでころりと逝ってしまうのは、なんとも情けないことになってしまいそうだ。
気をつけないと。

まあ、どれだけ気をつけていても、人生、明日がどうなるかなんてわからないもので。
でも、気をつけないと。
移動中なのです。

隣りの女性3人組はサークル配置マップを見てます。
目の前の女子中学生二人も同じ所に行くようです。
次は大崎。

塵芥王 on iMODE (SO505is)




暑いです。
今日は夕方から花火大会もあるんで道路も混んできてます。
ビッグサイトの中だけでも人出は、例年以上ではないかと思います。
死なないうちに、混まないうちに撤収です。
お盆を前に、増刊やら別冊の類が幾つか出ていたようだから買ってきた。

ある程度の作家が過去のタイトルの後日談を掲載しているのは幸せなのか、それとも不幸なのか。
それだけ人気とニーズがあることではあるだろうけども、もしかすると物語をきちんと終わらせられなかったのかもしれない。
理由は本人でないとわからないことなのだろうけども、「縛られたままでいる」などと穿った見方もできなくはない。

この手の増刊・別冊だと、若手や新人の作家が描くものも多くなり、それを楽しみにすることも出来る。
何人か期待している作家の作品も掲載されていて、これからの活躍に期待してみたりする。
そんな中の一人、最近良い雰囲気のものを描き続けているのだけども、今回の掲載分では少し気になるところが目に付いてしまった。ひょっとしたら、この作者は右利きなのだろうかと。
そう、主な決めゴマでのキャラクターの顔がほとんど左向きなのがどうにも気になってしまい……。

がんばれ。私は期待して見まもってるんだから。
この時間にやっていたとは、チェック漏れだった。

初期型の尾美としのり、ほっそりとしている岸部一徳、そして初期型の原田知世!
たとえ、演技が板に付いていなくたって、途中の演出が臭ってくるくらいにクサくても、そんなことは気にしていてはいけない。
当時、多くの人々を魅了してしまった初期型の原田知世と出会えるのだから。

だけど、今は録画予約までしてある別のチャンネルを見ていたりする自分って……。
なっちが出てきて……。

目の前に座っていて、娘。さんの歌を口ずさんでいるのだけども、続きの歌詞が出てこないので、教えてあげていた。自分 (たち) の曲だろうに、などと思いながら。
でも、笑っている顔はなっちそのものだった。

そして初めて明かされたことが!
細く整えてある眉の毛は、実は数センチもの長さがあったのだった!
(事務所は) こういうことを明らかにしてしまって良いのかな、などと思いながら眉毛を引っぱって立てて見せているなっちを眺めていた。

でも、どうして、( ^▽^) では無かったんだろう……。
って、なんの曲だったか思い出せない。2曲はあったはずなのに。

 _| ̄|○

引き続き電車で移動していたり、病院での待ち時間があったりするので、文庫本を持ち歩いている。

当初は、ある人物に紹介しようかと思って準備していたのだけども、なにぶんにも読んでから10年以上が経っていて、だいぶ忘れているところもあるので、改めて細かく目を通し始めている。
現在、第2章まで読破。
どうやら、現在では入手困難になっているようなので、途中途中で触れながら、少しネタバレも交えながら進んでいこうかと思う。

「もしおまえの言う〝悪魔〟が、世に災いをもたらす超自然的な存在で、強大な力と、長寿と、一時的になら、ほとんどどんなものにでも姿を変えられるもののことであれば──答えは否だ。これは一般に認められる悪魔の定義だが、このうちひとつの点だけはあてはまらない」

(深町真理子 訳 ハヤカワ文庫 第1章より)


こう語るのは、神と呼ばれる存在だ。
世界ではインドの神話に登場する神たちが力を持っている。
世界は<人類>が今は消滅した地からやって来たもので、原住種族たちは羅刹と呼ばれていることを示唆する。
しかし、羅刹は物質ではなくエネルギー生物であり、世界に存在する神は実際に力を有している。そう、指輪を用いて雷を呼び、炎の柱を大地に生じ、幻術を操り、眼差しの力で相手を死に至らしめる。まさに神話のような世界が存在することが語られる。
物語は意識を電離層じみた世界を取り巻く磁性体の場の中に波動として投じられていた主人公が、再び肉体に戻ることから始まる。そこに繰り広げられるのはまるで魔法が飛び交うような光景。
そして章の終盤で主人公は経典に書かれていそうなことを高らかに語る。火を知らないものたちに、いくら火の性質を語ったところで火を理解させるには至らない。火の実体を知らない限り不可能だと。同様に個の存在も世界の存在をも疑ってみせる。すべては夢を見ているのと何ら変わりはないかもしれないと。
こうして物語は動き始める。物語自身の存在を暗喩しながら。

第2章では、時間は主人公の動機ともなる事件まで遡る。
ここでは早くも重要な手がかりが断片的とはいえ提示される。
世界では転生がまさしく実現していること。それを取り仕切っているのは<業の司法官>と呼ばれる特権階級であること。文化や風習の一部は明らかに地球固有のもので、種類によっては禁止事項になっていること。さらに<第一世代>と呼ばれる、おそらく移民船と思われる設備の乗組員はより上位の権力者として古の神々の名を用いているらしいこと。天上に存在する神々は、科学技術と知識の多くを統制し、移民者たちとその子孫を暗黒の時代の中に止めているらしいこと。
そして人民から隔離された科学技術はかなりのレベルであるのが示唆される。たとえば、超越者の頂点に位置するらしいブラフマンについては、このように語られる。

性というものは、たんなる生物学を超えたなにかであるらしく、いかにかれが努力して記憶を圧殺し、魂のその部分を抹殺しようと試みても、しょせんブラフマンは女に生まれた身であり、いまだにどこかに女である部分を残しているのだ。これが気に入らないかれは、転生のつど、とりわけ筋骨逞しい男性を選び、生まれかわってきたが、それでいながら、いまなおどことなく不完全で、真の性別がひたいに烙印として押されているように感じてい、それを思うと、思いきり渋面をつくって、地団駄を踏みたくなるのがつねだった。

(深町真理子 訳 ハヤカワ文庫 第2章より)


そして第2章では主人公が<業の司法官>と神々を手玉にとって若く強靱な肉体に転生し、神々に闘いを挑む決意をすることが語られる。
世界が確固たるバラモンに統制され、人々の生活までが統一されている……くらくらとしそうな光景が繰り広げられ、そして物語の続きがすごく気になるところだ。

ウォーターボーイズ2 がお約束の通りに進んでいくのは、わかっていることなのだけど。

今週の分なんて、お約束から外れる部分がまったく無いにもかかわらず、それが観ていてとても気持ちよく展開していく。
これはきっと構成が上手にまとめられていて、演出も見事にはまっているからだろう。
どこか一つ間合いを外しただけでも、観ている側の期待感と呼吸を変なところへ導いてしまう。それだけに、良くできていると思う。

物語も中盤に入り、これからどんなトラブルを準備しているかも楽しみにしたい。
それにしても石原さとみ、ときどきすんごく良い表情見せるなぁ……。
ここ久しく、まともに鳴き声は聞いた記憶がなかった。

そうでなくても住んでいるところが悪いのか、部屋にいるとセミの声というのはほとんど聞く機会がなかった。
不思議なことに、逆に都心方面に出てくると、公園や街路樹からミンミンゼミやアブラゼミの声を聞くことがあったりして、おかしな感じがしてしまう。

そんな中、ふと夕方に出歩いていると、思いがけず路傍の木の上からヒグラシの声が聞こえてきた。
一瞬はっとして、そして違うものに驚いてしまう。東京の区部でもヒグラシはいたのだ、と。
残念なことに、鳴いていたのは一匹だけで、田舎にいた頃のように山肌の林の中、一面で波を打つように競って鳴いていたような状況ではなかったけれども、久しぶりに聞いた声は記憶の中の声とも違ってはいなかった。
次に耳にするのは何時のことになるかは分からないけれども、記憶の中のイメージは無事に更新できたと思う。
戸田誠司、10年ぶりにして2枚目のソロアルバム。

今となっては、フェアチャイルドや、Shi-Shonen はどれだけの知名度があるのだろう? 少し不安になってしまう。
サウンドはとてもゆったりとしていて、それでいてエレクトロニカ。なにげなくBGMに流しておいても邪魔にはならない出来になっている。
なんといっても凄いのは、オーディオCDなのに、MP3データが同じディスクに収録されていること。
昨今のCCCDの嵐が到来しそうな気配の中、凄い意識のあり方だと感心してしまう。
そしてほかにも付いてるデータには……おもわず、「ほぉ」と思ってしまったり、ニヤリとしてしまったり。
CD1枚で個人的に楽しむデジタルデータまでついてきて、なかなかのお得感。この夏の疲弊した精神を癒すには格好の一枚かもしれない。

ただ、このスローなテンションだと、ちょっと最近のもろもろの状態には不向きなのだけども(苦笑)。

なんとなく、電車の中や道路が空いている。

いつもの日曜日の夕方と比べると、なんとなく人の姿も行き交う自動車の数も少なくなっているように感じられる。
ただ、どこかで花火大会か、祭りかがあるのか、浴衣姿の女性の姿は目についたのだけども。
世間的にはこれからはお盆の季節。やはり多くの人たちは帰省して、先祖の供養に努めるのだろう。
そんな中、自分はだらだらと残留して、だらだらと仕事をしたりしているわけで。
多少は空いてるだろう通勤電車を期待しながら、いつもと変わらない日常を繰り返すことにしよう。

出先から戻ったらポストに葉書が届いていた。

見ると運転免許更新手続きのお知らせが。
もうそんな時期になっていたとは。
ただ、少し前に違反で切符を切られているので、今回は優良扱いでの更新ではない。
「試験場まで行かないとダメなのか。どこも駅から離れてるし嫌だなぁ」 と思いながら通知をよく見ていると、どうやら都庁と神田にある施設でも更新が出来るらしい。
これは有り難い。試験場はたとえ鮫洲でも駅からは少し離れていて、おまけに道路が少し複雑で、行くにはあまり気乗りしていなかったのだけども、都庁ならすごくお手軽だ。
これで来週末に……は別のお出かけがあるから無理か。
その次の週末に……は追い込みだから無理か。
その次の週末に……は準備とかしないといけないから無理か。
その次の週末に……はオフ会だから無理か。

まあ、きっとどこかで更新できると思っておこう。
ザッピングしていて 「タモリ倶楽部」 の映像が出て、ふと思う。

「あれ? ついこの間、手作りの民族楽器を作って楽しんでいたばかりではなかったっけ?」と。

こんな感覚、実は 「銭形金太郎」 で何回も味わっている。
夜、くつろいでいて、ザッピングして映像が流れ……そして、「あれ、これ、この間……」と。

不思議なことに、週が明けた月曜日ではこんなことはない。「内村プロデュース」 をけっこう観ていたりするのだけども、その時にはなぜか一度も味わったことはない。
ひょっとすると、週末近くになって疲弊してくると、いろいろな感覚が飛び始めるようになっているいるのだろうか。
それとも、本当に自分の周りの感覚が加速し始めているのか……。
コミックモーニングに連載中の惣領冬美 「ES」 もいよいよ物語の終わりを迎えそうになってきた。

しかし、どうにも喜ばしい結末を迎えるのではない予感が漂い始めている。
これまでに、あれだけの凄惨な場面を積み重ねてきた物語故に、ありきたりなハッピーエンドが不釣り合いなのはよくわかる。
だからどんな結末を迎えるかは薄々予想することができる。
ただ、そこで……それまで有していなかった感情を体験し、多くの事件を目の当たりにしてきた主人公がどんな境地に達しているか、それだけはしっかりと見まもることにしたい。
そこで語られる言葉は何かを、覚悟を決めて待ってみたい。
最近は電車で移動しているので、合間には少しずつでも何かを読み進めるようにしていたりする。

最近、読み終えたのが「宇宙戦争 (火星人襲来)」 や 「タイムマシン」 「透明人間」 のウェルズの作品
ちなみに、潜水艦で旅したりとか、地底を探検したりとか、世界を一周したりするのはJ・ヴェルヌ。まったくの別人。
どちらかというと、ホラーな内容として認識されているかもしれないウェルズの作品だけども、ふと書店で創元文庫版を手にとって、そのまま買い求めて読み始めた。

ウェルズとかヴェルヌの作品というと、SFの古典といったイメージが真っ先に浮かぶかもしれないが、それだけでは終わらない。本書の場合、訳者 (中村融) による後書き (というより、ほとんど解説) を見ると、ウェルズが執筆に至った動機がいろいろと書かれている。
それだけ当時のイギリス社会や学会の影響の中にあって生まれた物語と思って読むと、また違った光景が見えてきたりする。その細かいところは是非とも実際に解説文をあたってみてもらいたいが、それよりも、100年以上も前に書かれた文章が、現代でもまだそれほど風化していないというのには驚くべきだろう。

そりゃぁ確かに、「島」 で 「モロー博士」 が行っている 「技術」 については、現代の技術から眺めればちゃちなものにしか見えないかもしれない。だが、そこの思想や思考、そしてその結果あらわれる現象・事件には、まだまだ我々の目を見張らせるだけのものが潜んでいる。
それと意外なほど、描写の魅力にも惹かれてしまう。多少、翻訳文ゆえの少し違った感覚はあるものの、それでも流れる文章には、古くさいカビの匂いはたちこめていない。時にはその濃密さに逆に驚くことになるかもしれない。
終盤に近くなって、若干、駆け足気味だとか、描写に混乱めいたものが見かけられたりもするが、ひょっとするとそれは「主人公による手記」 の体裁をとっているがための計算なのかもしれない。全般には異界の島の光景に安心して身を浸して読み進めていくことができる。

そして何よりも、主人公が島から帰還して、目にするロンドンでの光景にも注目しておきたい。ここは案外とあっさりと流してしまっているところだが、そこに展開する光景は、安部公房の作品にも通じる、「現実の非現実感」 が漂っている。そう、例えていえば、「燃え尽きた地図」で行方不明者を追っている探偵が街に迷い込んでしまうような、「密会」で追い求めているはずの者が、逃亡者に変わっているような、「箱男」 で、箱の外と内側の境界が不明になってしまうような、いや、「方舟さくら丸」 で示される、終末の世界の光景なのかもしれない。

やはりこの作品は単なるホラーの系譜のSFとしてだけ読むのはもったいなさ過ぎる。
少なくても、SFが好きなら、そしてたとえ趣味の範疇でも物書きを目指すのなら、読んでおいて損はないと思う。
最新のオリコンのチャートでは、サザン、ゆずに続いて初登場3位につけている。

個人的な印象としては、思ったよりも上に入ったなと感じている。
しかし松浦亜弥が、前週に初登場3位だったのが、今週には30位にまで急落しているのを見ると、同じ軌跡を描いてしまうのではないかとも思ってしまう。

正直に言うと、今回のシングルは買っていない。なんだか、どうでもいいや、と感じてしまっている。辻・加護のラスト・シングルだという感慨も湧いてこない。
これでも、前のシングルは久しぶりに買ったというのにだ。

やっぱり自分の中で冷めてきてしまっているのではないかと思ってしまう。
それに事務所としては、この頃ではBerryz工房をプッシュしたいのではないかとも思ってしまう。
娘。はアイドル・グループとしてはもう十分に平均寿命以上を生きながらえてきている。ひょっとしたらそろそろ安楽死させてあげた方が良いのかもしれない。
今月は、アニメイトが発売するピンキーストリートのCDに、オリジナルのピンキーが付いてくるのだけども……。

少し前にウェブ通販で申し込みをして、その時の返信はあったものの、コンビニ支払いの手続きがいっこうに進んでいないのでどうしたものかと思い続けていた。
それが久しぶりにメールが届いて、これから手続きの処理を始めるとのこと。忘れ去られていたわけではないのでひとまずは安心。だけども発売が2週間先に迫ってきていて、こんなペースで大丈夫なのだろうか、とふと心配にもなってしまう。
それに、コミケで別バージョンが発売? どうやら最初は通販だけみたいなニュアンスだった書き方が、店頭にも並びそうなようにも受け止められるように変わっているし、いったいどうすれば良いのやら。

正直な話、コミケにまで行っていたら、体と懐が保ちませんがね。困ったもので。
asahi.com 8月2日の記事 『「政治的に偏った映画」 首相が「華氏911」に猛反発 』

「政治的な立場の偏った映画は、あまり見たいとは思わないね」。小泉首相は2日夜、ブッシュ米大統領を痛烈に批判したマイケル・ムーア監督の映画「華氏911」について、こう述べた。


こう言うからには、自分は政治的に偏った立場にないと明言できるのか?
どうにも、この人物のコメントというのは、信用できない。



8月1日のハロプロコンサート最終公演をもって、辻希美と加護亜依がモーニング娘。を卒業した。

でも、なんだか自分の中ではあまり盛り上がっていない。
積極的に2ちゃんねるで実況を追いかけようという気にもならないし、テレビや新聞での報道を追いかけようという気にもならない。
4期メンは嫌いではない。しかし、つい最近の安倍なつみの卒業に比べても、盛り上がっていない。
辻と加護が娘。やその周辺に与えた大きな影響というものは無視できないし、分かっているつもりだ。だけどもどうにも盛り上がれない。
その理由は、娘。本体の勢いが無くなっているのかもしれないし、自分自身も冷めてきているのかもしれない。

それに卒業というものじたいが単なる形式になってきてしまっているようにも感じる。そこに何の意味があるのだろうかとも思ってしまう。
それは単にモーニング娘。として活動しなくなるだけのこと。でも、求心力を欠いた娘。本体には今はどんな価値があるのだろう?

やっぱり、ここに帰着してしまうのか。
来年、最後のオリジナルメンバー、飯田圭織が卒業する。かなり遅すぎたような気がする。ただし、彼女にはソロで歌う実績は実はあんまり無い。無いことになってしまっている。初期タンポポは世間的には無いことと同然なようなのだから。中澤裕子や安倍なつみや保田圭や後藤真希のように役者への方向性を示していないだけに、これからどれだけ世間に存在をアピールしていけるかには不安が残る。松田聖子のようになりたくて上京した少女は大人の時代を迎えて、どこへ向かうのだろう。
その後には石川梨華が卒業する。遅すぎたような気がする。しかし彼女の場合、ようやく卒業できるまでに育ってきたのとも言える。いろいろなユニットに引き出され、時にドラマにも挑戦したり、センターに近い位置をキープし続けてきたりもしたけども、まだまだソロとしてやっていくのには不安がつきまとう。ほんとうに大丈夫なのかと思ってしまう。それでも、このまま娘。本体と一緒に失速していってしまうよりは、引き離して活動した方がまだ売れるという判断があったのかもしれない。こんな憶測をはねとばすくらいに飛躍してくれればよいのだが、先のことばかりは誰にも分からない。

サイリウムの光の海も、当初の意味合いは薄れ、単なる恒例行事になってしまったようだ。
しょせん、どんなことも時の流れとともに移り変わっていってしまうものなのかもしれない。
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  1. ばら