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自動リンクでいったいどんな商品がピックアップされるのか実験も兼ねて置いてみました。 はたしてこのブログはamazon的には……。



載せてみたりする。

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テレビの台風情報を見ていて、ちょっと疑問に思った言葉。

実際の台風には、そんなにはっきりとした「暴風域との境界線」 というものが存在するのだろうか?
観測される中心と思われる位置から、ある距離の範囲では、風速25m/s の風が吹いている可能性が非常に高いというだけで、それだけの範囲に入ったらすぐに強烈な風が吹き始めると言うものでもあるまい。
だから、タイトルの文言は、こう言っておいた方が無難だったのではないだろうか。「間もなく暴風域に入ると思われますが、すでに25m/s 以上の風が吹いているかもしれませんからご注意下さい」 とでも。

確かに、気象用語としては、台風の暴風域というものは、風速25m/s以上の範囲を指し、それは中心からある数字の半径を持つ円内として定義されるのだろう。
しかし実際の運用はそんなに厳格にやることに果たして意味があるのだろうか? 暴風域の外では決して「25m/s以上の風が吹かない」 とは限らないのだから。用語の定義に縛られすぎず、もっと現実に即した運用をしていくべきだと思う。

言葉にここまでの正確さと厳格さを求めるのは、論文やレポートの文章くらいではないだろうか。
一般の会話や、平文の中でそこまでのものを求めてしまうと、言葉の曖昧さを逆に利用した表現がまったく通じなくなってしまう。
会話の流れの中で、明らかに「これは冗談だろう」という文言を、字句そのままに受けとめて、そのまま返されたら、場は白けてしまうというもの。

もともと言葉の記号内容が個人個人によって、同じ記号表現によって示されているかといったものは懐疑的にならざるを得ない自分ではあるが、それでも少しは同じイメージが相手にも想起されているのではないかと縋ってみたいし、そんな前提の上で、遊べるものは遊びを楽しんでみたいと思ったりしている。
やはり覚醒が待っているのだろうか。

「Wings」 の連載も徐々にクライマックスへの予感を高めつつ物語が進んでいる。
失われていた記憶には何があるのか、それを取り戻したときに、カルノはどうなるのか、そして物語の行き着く先はどこなのか……なかなかに目が離せない。

なのに!

なるしまゆり先生、いくら夏コミ前だとはいえ、ちょっとページ数少なくはないですかぁ?



って、いつものことか…… _| ̄|○
けっきょく買ってしまった P-MODEL 「Potpourri」。

タワレコのポイントカードの期限が迫ってきていたので、何にしようかとぶらぶらと眺めていたら、どうしようもなく目についてしまったので……。
で、近くの棚を見たら……平沢進はまだがんばってる様子で。

そしてまた、ここでも自分がパンクの波をかぶっていたのだなとと実感してしまった。
20年前。自分ではテクノポップの真っ直中にいたつもりではいたけども、どうやらパンクの潮流とも知らないうちに近いところにいたらしい。

三枚目のアルバムは、今聞き直しても大きく変わってきているのを実感できる。サウンドといい、歌詞といい、モチーフといい。
当時、何度となく繰り返し聞いていたアルバムは、今でも色あせていない。

こんなことばかり書いている気もするけども、初期から中期のP-MODELには、じゅうぶんそれだけの力が備わっていると思う。

タワレコのポイントは、割引に利用すると現金払いしかできなくなってしまうので今回は見合わせたけども、ほかにもサンディやら、ジューシィ・フルーツやら、ついつい気になってしまうものがあったので、そのうちにひょっとするとまた……。
一緒になってくれると嬉しいのだけどなぁ。

そうすると、地元にも仕事場にも、かなり近いところに支店が出来ることになってとっても便利なのだけど。
おまけに眠らせている口座が一つ期せずして活用できることになりそうだし。
読売巨人軍みたいにバカみたいな論理に基づいてバカみたいなことを言い続けてるわけでもないのに、なぜにすんなりと思い通りにさせてあげないのやら。
下手に泥仕合になってしまった場合、最悪のシナリオは UFJの経営破綻なんだけども、そうなったら被害者はユーザーになるわけで。そんな事態を招くことだけはないだろうと期待しているけども。

だから失望だけはさせないでおくれ、経済界の皆様方。
なにげに、朝日放送のケータイサイトを見てみたら……。

次回、26話の予告、いいんですか。そんなことまで書いちゃって!
扱い方によっては、かなり重要なポイントになるはずのことがさらりと書いてあったりしてしまう。
で、ひょっとすると、また30分の中であっさりと片づけてしまうのかもしれない。
なんとなくそんな悪寒がしてしまう。

なんせ、最近は、話の造りが雑になってきてるとしか思えないから……。
前にここに書いたからか、夢の中の家がパワーアップしてまたやって来た。

三階建てに改修されているのはこれまでにもあったことだった。
西側に老人の介護のための部屋があったりしたこともあった。
他にもトイレの中の細かなエピソードが以前の夢とリンクしていたりした。

そして今回は、部屋割りが勝手に決められていて怒っていた。
荷物が多いから、二部屋寄こせと息巻いていた。でも、一つの方は内装が見本のようになっていて、次の年の8月になる予定なんて紙が貼ってあったりする。
三階はこれまでにない大規模な造りで、どうやら保育所を始めるために、教室やらがいくつも作られていた。

夢の記録を取ることで、そこでの思考がフィードバックされるという話は読んだことがあるが、これは一体どうなっていくのだろうか。
ビデオカメラがあれば、「この光景を思い出として残しておこう」 とか考えて録画をする。

家庭用ビデオ・レコーダーでも、「またあとで見ようか」 とオンエアされた映像・音声を記録しておく。それに気に入ったものは良い状態で見ようと、セル・パッケージを購入したりもするだろう。

でも、ちょっとまった。
そんなにため込んで、ほんとうに見ていられるのかを考えると不安にはなったりしないのだろうか。

「いやいや、老後になれば時間なんていくらでもできるさ」
そんなことを言う声があるかもしれない。
ただ、歳を取ったらほんとうに時間ができるのだろうか。それに現実的に考えて、自分がためこんだデータをすべてに渡ってもう一度目を通すだけのことがほんとうにできるのだろうか。

そんなことを考えると、この頃ではあまり無闇に残すのもどんなものだろうか、なんて思ってしまったりもする。
たぶん、自分では自分のデータ全て振り返ることなんかできないのではないだろうか。
そんな気がする。
函館競馬で出走していた馬の名前がクラフトワーク。

馬主さん、ぜったいにファンでしょう。違うだなんて言って欲しくない。
なぜだか人気もそこそこあったみたいなんだけども、侮りがたし地方競馬。

そして……。

サマージャンボバカ回避してプロ一位おめでとう! > 加護亜依

 ( ‘д‘)  うち、バカやないでぇ!

サマージャンボバカ回避してプロ三位おめでとう! > 辻希美

 ( ´`) 年上だからがんばったのれす

鈴木さえ子久しぶりの新譜は、アニメ 「ケロロ軍曹」 のサウンドトラック。

それも題して「オリジナルサウンドケロック1」。
どうやら、サントラはもう一枚出るらしいし、来月からはドラマCDも出るとかで、いろいろと期待できそうだ。
そしてサウンドの方はというと……。

NO LIFE KING NO MUSIC」あたりのソリッドさと、「科学と神秘」あたりのおもちゃ箱みたいな感覚と、「緑の法則」あたりの繊細さが同居している、まさに鈴木さえ子!といった仕上がりになっている。
なんとなく、こう、懐かしいものを感じてしまったりして……いやぁ、いつ次のアルバムが出るんだろうと長く待っていただけの価値はあったというもので (感涙) 。

それにしても、同時収録されている いはたじゅり の歌う曲「恋するシューティング☆スター」、アレンジャーが別の人間のはずなのに、イントロのモチーフが 「恋する惑星」 とすんごく似ているのは何故……。
何回か話が進んだけども、あいかわらずコミック的なノリと演出が気持ちよくハマっている。

今のところ、主人公の周囲の一人ずつにさり気にスポットライトを当てつつも、全体としての流れを当面の課題としての発表会や、長めの普遍的な葛藤としての進学も絡めつつ、うまく進めていると思う。
そして今週の片想いと告白の一件はコミックの、もっと言えば少女漫画的な王道を突き進んでいる。
王道というのはややもすると陳腐なものと受けとめられがちだし、そうなってしまいがちなのだけども、上手く持っていくと、受け手の期待感と相まって、流れが決まったときにはとても壮快になれる。
それが上手くできているから、ウォーターボーイズ2 は面白く、そしてある意味では手軽に、観ていられる。

ひとまずメンバーも揃ってきて、生徒会との対立の構図もはっきりと見せつつ、これからも一筋縄では進まないだろうという妙な期待を込めて、続きを楽しみに待ちたいものだ。

今週発売の号で、「かってに改造」 と 「美鳥の日々」 が最終回を迎えた。

美鳥の日々は、最近までオンエアしていたアニメの方で一つの形が示されていたこともあってか、そんなに変な方向には行かないだろうと思っていたが、落ちつくべきところに落ちついたように思う。
惜しむらくはこのコミック、女装少年ネタとしても楽しめるだけの期待が持てたのだけど、さすがに読者としては暴走しすぎなので、そんな理由で連載継続を望むのはやめておこう。

いっぽう改造はそのネタのギリギリさ加減でもって話題になったりもしていたが、ついに終わることになった。
終わり方としては、終わることじたいを思いっきりネタにしてやってみせたか、と密かにニヤリとしてしまうものだった。
そして、ひょっとしたら開放されて喜んでいるのは実は作者なのではないかと思ってしまったりも……。
最終回の見かけだけを取り上げても、じゅうぶんに成り立っているのだけども、そこで自らの作品までもニヤリとする対象にしてしまう作者の思いきりの良さには賞賛を送りたい。
ふと管理ツールから割り当て領域 (30MB) に対する使用量を見てみたら、15%になっていた。

昨年の12月下旬から始めて半年と少しで15% 。今後もこのペースで続けたとして多少多めに見積もって一年間で30%、二年で60%、四年目で割り当てが危なくなるという計算に。
たぶんその頃にはニフティさんが新しいサービスなり、増強なりしてくれるだろうと勝手に目論んでるのだけども (まさか上位コースに変えろとにべもなく言われてしまうのだろうか) 、画像とかを数多く使っているブロガーの皆さんははたしてどんな状況になっているのだろう?

確かに自分でFTPするわけでも、インデックス作るわけでもなく、書きためていくだけでコンテンツ形成できてしまうサービスだけども、ファイルの実体は案外と自己主張が激しいのかもしれない。
それでも基本料金の中に含むサービスだし、なによりもお手軽なので、こんなとりとめもない日記がわりの駄文を書きためておくには便利なのも間違いない。
容量が逼迫するのはまだ先のことになるのだし、今はその手軽さを享受させていただくことにしよう。
帰り道に、なにか感覚が違うな、なんて思っていたら、仕事場で履いているサンダルのままで外に出てきてしまっていた。

とはいえ、履き替えに戻るのは面倒なのでそのまま帰ることにしたのだけども、やはり歩くということを考えていないデザインのサンダルだと地面を蹴る感触に多少の違和感を覚えてしまう。
慣れてくるとそうでもなくなるのだけども、それでも何かの拍子にまた違和感が出てきたりして、今日は歩いている間中、奇妙な感じをたまに思い出しながらというおかしな時間になってしまった。

こんなことはきっと、サンダルを新調したときにまた起こるのだろうけども、その時にはまた歩くことを前提にした選び方をするだろうから、すぐに慣れてしまうのかもしれない。
まあ、こうして違和感も日常の中に取り込まれて同化していくのだろうなどと、暑さの中でとりとめのないことを考えたりもしてみたのだった。
昔は毎週新宿に出かける用があったので、そのついでに西口の松屋には必ずといって良いほど立ち寄っていたのだけども。

地元になか卯と吉野家があると、どうもそれだけで満足してしまっているのかもしれない。
それでも今日は手軽に肉と野菜と味噌汁が食べたくなったので、出回ってるついでに松屋に立ち寄ってきた。
まずは座った席のカウンターの向こう側に保温ジャーを兼用したご飯の自動計量・配膳機が入っているのにびっくり。
確かにほとんど誤差を出さずにしゃもじだけで盛りつけていくような職人芸を求められることなく誰でも簡単に盛りつけられるようになったのだろうけども、こんなところまで自動化しているのには感心させられてしまった。
そしてオーダーした豚ショウガ焼き定食にいつの間にか玉葱も入ってるようになっていてまたびっくり。輸入牛肉のBSE騒ぎ以来、どこのファーストフード店もメニュー開拓には躍起だけども、既存メニューも細かなところで改良が続いていたようだ。個人的には玉葱が入っていた方が好みなのだけども。

食べ終わって店を出ると、少し離れたところにある吉野家にも新メニューを告知するのぼりが店頭に出されていた。
今日は食べたいものと一致していないから足を運ばなかったけども、そちらもまたそのうちに。
自分の場合はたいがい、過去にどこかで見た光景のバリアントが多いのだけども。

それが時にはゲーム画面だったり、チャットの画面だったりすることもあって、妙に現実からの浸食が顕著なこともあったりする。
ただそういったのは流石にしょっちゅうではない。
ゲームな夢といえば、かなり昔に DOOMみたいなのを見て以来かもしれない。その時はゲームとは言ってもディスプレイの中ではなくて、ゲーム盤みたいな中に小さなキャラがたくさんいて、それが蠢くようにわらわらといたようなものだった。だからといって油断しているととんでもなく、凶悪なモンスターが突如現れて猛威を振るうような、そりゃぁ DOOM後半並のとんでもない状況。

何がどうするとそんな夢が現れてくるのか、自分でも良くわかっていない。

いっぽうでよく見る夢は郷里の実家の光景。
それはかなり改築・増築され変貌が激しいが、それでも住み慣れた家だと理解している。
今朝方の夢では、三階建てにまでなった家屋が何らかの理由で土台と柱組が離れて浮いてしまい、土台にはめ直そうとしているのだけども、職人が下手なのか、土台にある突起と柱の凹みを合わせるのに失敗して柱が一本折れてしまうといった状況になっていた。
これは分析すればそれなりにいろいろと出てきそうだけども、そこまでしようという気にはならない。

そんな突拍子がないことが起こりながらも、最近は夢の中の光景は、どことなく現実とシームレスになってきているような気がする。
果たしてそれは良いことなのか、それとも……。
どうにも今、欲しいと思う機種と料金プランが見あたらない。

いつものペースだと、ボーダフォンの端末の買い換えの頃合いなのだけども、同じ端末メーカーの最新機種、V602SH は積極的に機種変更しようというだけの魅力が感じられない。今の J-SH53 で機能としては十分だし、バッテリも一年経過してる割りにはへたっていないし、本体の多少の傷を除けば、まだ不満もない。

むしろ最近のボーダフォンの様子や先のことを考えると、他社に乗り換えた方が良いのかとも考えてしまう。
だが、auの料金プランは、auをメインに使い通話発信もパケット利用も積極的にやって初めて魅力的になってくる。ドコモにしても、同様のことが言える。
現状の着信専門・メール転送受けといった使い方を維持するには、今となっては新規加入、プラン変更ともにできなくなってしまったボーダフォンの選択以外にはなくなってきてしまっている。

少しは現実的なのは、PHSも含めた契約内容の見直しなのだが、PHSも今はまだ見捨てるには勿体なく。
けっきょくのところは現状維持になってしまうのだろうか。

そうは言っていても、きっと SO506iC 相当なFOMA端末が出たらそちらに機種変更するかもしれないけども……。
この人たち、今は何をやってるんだろう?

ある程度の時期までは好きだった。
元々はプログレなグループだったらしいのは後から知った。

メジャー・デビューのアルバムは紫 (purple) のカラーレコードだった。
プロデュースした佐久間正英は 「もっと売れるだろうと思っていた」 のだそうだ。でも、そんなに爆発的には売れなかったのかもしれない。一応、和製テクノ御三家なんてのをプラスチックスやヒカシューと合わせて言われてたけども、本人たちはパンクのつもりだったのかもしれない。

セカンドアルバムは、小学生の必須アイテム「ランドセル」 と売国奴をダブルミーニングしたものに。
トータルコンセプトは「愛」。デビューシングル 「美術館で会った人だろ」 も屈折した愛を歌っていたけども、よりポップにキッチュになったサウンドにのっている歌詞はけっこう観念的なものでもあった。それでもぶち抜けた感がある「ミサイル」は楽しい曲だったけども。

サードアルバムではベースが脱退したので平沢進がギターとベースと両方をこなすことになった。
でも、サウンドとしてはこのころのが一番好きだ。
観念的なら観念的で思いっきり突き抜けてしまったところがとても気持ちがよい。
ねじれた愛情はタイトルチューンにもなっている「ポプリ」 にもよく現れていた。

四枚目。どんどんと問題作になっていく。
ドラムセットをビルの階段の踊り場においてルーム感もろともに録音したサウンドは確かに凄い。しかもLPとカセットテープとでミックスを変えるという凝りよう。この辺りからどんどんと走り続けていくことになったのだろう。

五枚目。レコ倫に引っかかって一曲ほどボーカルを録り直して発売が延びた問題作。
深層心理について深く踏み込んだアルバム。
いきなりα波を増強させるというサウンドから始まり、怪しげなイメージのインストラクションのナレーションが乗るところから始まり、どんどんと走りぬけていく。でも好きなサウンドだ。
このアルバムを手にしたのは、個人的にいろいろと身の上に起こっている頃のことだった。ダビングしたカセットを聴きながら炬燵で眠って高熱を出した。でも一日でさっと退いた。いろいろなことが知らないうちに起こっていたのかもしれない。

その後はカセットブック 「SCUBA」 以降は、少し趣味とは外れていくところが多くなっていったように思う。
グループとしてはしばしの休眠期に入り、その後復活するが、それ以降の何枚かはCDで買ってはいるものの、あまり聞き込んだ記憶がない。
SCUBAといっても、海に潜る行為を、深層心理へのダイブと掛けているところがあるらしく、海を越えて隣の島へボートに乗って出かけよう、なんて曲もある。

今、思い返してみると、P-MODELのこのころまでの曲は、コミュニケーションについて語っているところがかなりあるように思う。
そのうちの幾つかは、形こそ変えているにせよ、平沢進の心の叫びだったのかもしれない。

うーん。考えすぎだろうか。
でも、SCUBAあたりまでは好きなのは今でも変わっていないのも事実ではある。
KIRIN 生茶 の TVCM で耳にして以来、どうにも引っかかってしまっている。

だって、ものすごくずるい使い方だから。
どうしても、その続きが気になってしまう。たとえ昔、リアルタイムで耳にしていたとしても。

というか、リアルタイムで聞いていたからこそ、これだけ引っかかっているのかもしれない。

たぶん初めて耳にしたのは中波ラジオのオンエアだったかもしれない。
ひょっとすると同時期にFM放送でも聞いていたのかもしれないが、モノラルで音質も劣る放送であっても分かるサウンドの深さに思わず凄いと感じてしまったのを良く覚えている。
サウンドの秘密は当時のラジオ番組や音楽雑誌で明らかにされた。一つのパートを何台もの楽器を使って同時収録する。恐ろしく手間をかけて作り上げたものだった。
そんな音は、どこか突き抜けてしまったようなものを感じ、幻のような夏の風景を求めてアルバムを買った。
大瀧詠一の名前は、YMOから逆行した はっぴぃえんど の中で知っていた。しかし、その後の音はあまり知らないでいた。
アルバムはそんなブランクを吹き飛ばすような存在感を持っていた。
その存在感は今になってもまだ色あせてはいない。
二ヶ月ぶりに第6話を投稿した。

ほんとうは、5話を4月に、6話を5月になんて目論んでいた頃もあったりしたのだけども。
それが気がつくと5話は5月に、6話はその二ヶ月後になんていう有様に。
今となっては言い訳にしかならないけれども、先月後半の仕事がとんでもない状態になっていたのがけっこう響いているように思う。

さてそれで次の7話だけども困ったことに書き出してある断片がほとんど無いに等しい。
そこでやらないといけないことは決まっているし、大まかな流れも考えてはあるにせよ、具体的にディティールを積み重ねていくのは実質的にすべてこれからだ。
はてさて、いったい次は何時になったら仕上がることやら。

実は我ながら先が見えない (苦笑)。
いや、正しくは天才にのみ許される所行とでもいうべきか。

凡人がそうと気づかずに何度もそんなことを繰り返している光景は痛いものでしかない。周囲はなぜそれを本人に伝えないのか。大概は伝えられない何らかの状況になっているために、本人もますます増長していくことになるのだろうが。
それでも時には一線を越えてしまう人物もいるらしい。伝聞だが、酒の席で得意先の偉い人間を殴り倒してしまった人物もいるらしい。しかし殴った方はいわゆる酒乱なため、何にも覚えていないのだとか。
ある意味、天晴れな状況だけども、これもまた天才のやることなのかもしれない。

そういえば、仕事で世話になっている一回り年上の人が言っていたのだが、最近の若手には極端な「バカ」、そう、バカな真似をするようなのがいなくなってきているらしい。
その人のいう「バカ」は確かに凄いレベルのもので、仕事の現場であまりにも使い物にならないのでこっぴどく叱ったところ、相手は次の仕事に姿を現さなかったらしい。その若手抜きで仕事を続けていたら、相手から電話が入り、(東京から) バイクで走り続けて、今は名古屋に着いているらしい。ここまでいくと、呆れて笑い話にするしかないのかもしれない。はじめは怒られて衝動的に走っていたのかもしれないが、そのまま原動機付き自転車で気づいたら名古屋にいるような状態になるだろうか?
で、その人が言うには、こんなバカがいなくなったのと同時に、極端に出来る若手もいなくなっているらしい。それじゃあどんなのが残っているのかというと、中途半端なのしかいない、のだとか。

ふむぅ。自分ではまだあんまり実感がないのだが、そんなものなのだろうか。

昨日の東京は、昼から激しい雷雨になったところもあったようだ。

ちょうどその頃合いに移動しなくてはならず、雷雲の動きよりも速く走りぬけようと、都内の道路を逃げるが如く原チャリを駆っていた。
幸いなことに、風に運ばれた雨粒がときどきぽつりぽつりと当たる程度で済んだし、雲も思っていたよりも南の方向へと流れていったために、大事には至らず目的地まで到着できた。
それでも発達した雷雲が豪雨を降らせながら遠くを移動している様は垣間見ることが出来、雲の端から端までを稲妻が走る光景も目にしていた。あの真下に入っていたなら、とんでもないことになっていたのかもしれない。

そんなところに遭遇したことも実はあったりする。
何年か前、赤坂での仕事を終えて帰る最中に猛烈な雷雨に行き当たってしまった。
あわてて四谷駅前の交差点で歩道に原チャリを止め、雨具を着こんでいたらその直後から大粒の雨があっという間に降り始めてきた。
それでも走り続けているとやがて目の前が見えづらい状態に、そして落合近辺の早稲田通りでは道路がせせらぎのようになって水が表面を走っていた。
家の近所に戻ってくると、あちこちの道路が水没している。ふだんは側溝ていどの流量しかない水が、土手を越えてしまうほどに大量の濁った水を流し、ついに溢れていた。
あちこちが消防車や警察の車輌で封鎖されていて、もう雨は小降りになっていたというのに、最後の最後に帰り着くのにえらい手間取ってしまった。

そんな雷雨も、周囲を山に囲まれた盆地だった郷里では、夏の間は当たり前のようなものだった。
夏の日差しが照りつけ、午後になって雲の様子を見、空気の匂いが変わるのを感じると、ほぼ確実に雷雨になっていた。
むしろ田舎にいた頃は、雷雨は雨よりも落雷の方が恐ろしかった。
なにぶんにも自転車で学校から帰宅しようとすると、川の土手、周囲に何も無いところ、いや、高圧の送電線が走っている土手を使うのが一番利便性が良かったのと、必ず端を渡らないといけないために、どうしても落雷の危険だけは脳裏を離れることはなかった。
それでも、自分の部屋から安全だろうと思いながら、ぴかぴか光る暗い空を眺めているのは好きだった。なんだか矛盾している行動だけども、単純に、光るものに興味をひかれていたのだろう。

ふと、走りながら、そんなことまで思い返してみたりもしてしまった。
文化祭の後かたづけの日、自転車で帰宅の途中で猛烈な雷雨に遭遇し、寺の山門にかけこんでおさまるのを待っていたのは、もう遠い日の出来事。

今回は二年ほど前、別のページに書いた内容を再掲。


まず、コミュニケーションという場を想定して、以下はそこの中でのことに限定します。とめどもない独り言のつぶやきの中では意味のないことですからね。

自分の場合、自分の思い浮かべたイメージ(たとえ単純なものであったとしても)すら、他者には伝わらないだろう、という諦観があります。基本的には。



ちょっと細かく触れてみましょうか。単に「みかん」といった場合、相手がどんなものを思い浮かべるか、なんてのはどうしたってわからないわけです。それこそ、十人十色。個人個人のそれまでの経験や思い入れの違いによって、各人が思い浮かべるものがまったく同じになるなんてことはありえません。ここで断言してしまいましょう。ありえないんです。ありえたらそれこそ恐ろしい。教育の力とは素晴らしい(笑)。

そこで、必要に応じてもっと細かな描写で修辞していくわけです。

たとえば……早稲種の小振りな緑色の多く残るものなのか、皮が厚くてぶよぶよしているのか、腐りかけなのか、輸送時に痛んでいるのか、きれいな楕円のシルエットを描いているのかいないのか、ヘタに小さな葉が残っているとか、表面に白くなっている部分があるとか、等、等、等。



ただ、流れの上で細かくイメージを限定する必要がなければ単純な表現ですませてしまうこともしばしばです。受け手の想像するものにすべてを委ねてしまうわけです。それでも文字で表す時には、「みかん」とするのか、はたまた「ミカン」か、「蜜柑」か、それとも「オレンジ」か……それなりに思い入れを残してみたりしますが(苦笑)。まあ、諦めながら足掻いてみる。あさましい根性とみじめな姿ですね。

でも実際はお気楽なもので。like a rolling stone、あるいは水が高きから低きに流れるがごとき。想いのおもむくままだったりしてます。結局は他愛のないつぶやきと一緒だということで。


ただし重要なのは、そうした描写をするのに意味がなければやらないということ。
小説においては、なにからなにまで余すところなく書けばよいというわけではない。
意味というのは、必要さと言っても良いかもしれない。

例えばその場にいる誰かが腐っているのを気づかずに口にしてしまって体調を崩すとか (ただし多少ベタすぎ)、キャラが誰か酸っぱいものが苦手なのを説明するために言及するとか。
いちばん注意しないといけないのは、場面の描写をしたいとき。これはバランスを十分に見極めないとならない。ただのはったりとしてしか使われていないと読み手に気づかれないためには、情景描写は「その場にあるだろうというもの」をただ細かく書き並べればよいと言うものではない。
イメージを文章として固定化するのはそれだけ難しい。思いついたものをただ書き並べればお終いにできるのなら、どれだけ楽なことか。

さて、なぜそんなに苦労しないとならないか、それは論点・視点が別の方向に向いていくのでまた別の機会にでも。
不在者投票というか事前投票をやってきた。

どうやら日曜日の都合が怪しくなってきたので、遅出で仕事に行くついでに、指定された投票所まで行ってきた。
場所は相変わらずの区役所にある多目的会議室。バブルの残骸のような無駄な空間。
でもそれはこの時には少しは役立っている。

そして驚いたのは投票に訪れている人の多さ。
昼間だというのに、ぽつりぽつりとはいえ次々と人がやってくる。選挙区と比例区と投票を済ませて帰ろうとエレベーターに向かったら、乗り合わせたのは実に7人。それも老若男女を織り交ぜて。
今回の参議院選挙、それなりに関心が高まっているせいもあるかもしれないけども、それともう一つ理由があるのかもしれない。
エレベーターを待ちながら、初老の女性が口にしていたけども 「簡単になったね」「紙の無駄づかいが無くなって良かったね」 というのもあるのだろう。
今までは不在者投票の理由を申請するために、投票所で一枚その場で記入しなければならなかったのが、今回は選挙のお知らせの裏側にあらかじめ必要事項の記入欄が設けられていたからだ。
それとデータ管理・作業の電算化も進んでいる。昔は選挙人名簿をめくって照合していたのだけども、今では光学読み取り機とノートパソコンですぐに照合できるようになっている。
まあ、区も無駄に庁舎に税金を費やしているだけではないんだなと納得できる一瞬ではあった。

さて、これで開票後、はたしてどうなることやら。

初回放映の視聴率が20%を越えたのだとか。

コミック的な演出がけっこう上手くハマっていて、いろいろとお約束な展開もありながらも、安心してみていられるのは良いと思う。
それにしてもこのドラマ、前もそうだったけど、NHK朝のテレビ小説、それもBK制作のオンエアが終わった後でヒロインをそのまま取り込んでいるような気がする。宮地真緒といい、石原さとみ といい。
石原さとみの場合は、NHKの時点でかなり輝いていたから、すでに存在感はかなりあるけれども、宮地真緒は、かなり印象が違って見えた記憶がある。

この番組エンディングとクライマックスもある意味お約束が待ちかまえていたりするのだろうけども、それでも今年の夏はどんなやりとりを繰り広げてくれるか、楽しみにできそうな予感がする。

アサヒ・コム 7月8日の記事


 労組日本プロ野球選手会の古田会長(ヤ)は8日、合併や球界再編などでの球団側との話し合いについて「オーナーたちと話をしたいという気持ちはある。その方が(議論が)開かれた感じがしていいのではないか」と話した。これまで、労使交渉の窓口は各球団代表クラスになっている。


 発言について、8日夜に報道陣から質問された巨人の渡辺オーナーは「無礼なことを言うな。分をわきまえないといかん。たかが選手が。立派な選手もいるけど。オーナーと対等に話をする協約上の根拠はひとつもない」と切り捨てた。


(07/08 21:55)



オマエガナー!

それ以外に何を言えと?

真夏のセミの声を聴くのは今年初めてだったような気がする。

公園の脇を通り抜ける一瞬、ふと耳にした一匹だけのミンミンゼミの声。
まだ梅雨は明けていないのだけど、気の早い連中はもう地上に出てきてしまっているらしい。

確かにここ数日、どんどんと熱くなってきている。
夜になっても、空気には熱気が籠もっている。

そんな夜にも、真夜中の道角でやっぱりセミの声を聴いた。
やっぱり、もう、夏なのかもしれない。
今夜の空はそんなに濁ってもいなく、東の空には半月がくっきりとした形を見せて輝いていた。
そうとしかいいようのない状態になりつつある都会の様子。

なんといっても、アスファルトからも熱気がこみ上げてきますがね。
これで走行していなかったら、風もないので天然のサウナの如く。
そんな時にディーゼルエンジンの大型車の近くに止まってしまったらもう地獄。
それが保冷車とかだったりしたら、それこそ最悪。
それでも、地上をてくてくと足で歩くよりは風が感じられるし、汗の量も少ないので、ついついモーターの上にまたがってしまう。

アスファルトといえば。
仕事場の近くでやたらと掘り返してばかりいた道路工事が落ちついたらしく、きれいに舗装をやり直した上に、今朝は道路標識のペイントもやり直していた。
これでぼっこぼこの下手くそな簡易舗装とはさようならできるのは嬉しいこと。
でもよく見るとこの舗装、どうやら透水性のあるやり方ではないような感じ。
今どき、これでやってしまうのですか。
それとも、海に近いところだから、今さら地下に浸透する水の量なんて関係ないとでもいうのか。

それはそれで、またいろんなものを考えてしまう。
暑いとかじゃない。これはもう、ぜったいに熱い。

日本の夏。異常です。
夏? そういやまだ梅雨も明けちゃいないというのに。
今日の夜空がなんとなく透き通って見えないのは、きっと大気中の水蒸気の量が多いから。
ほんの少し前にも暑い日はあったけど、こんなじゃなかった。
たっぷりの水分を含んだ熱さ。日本の夏。
また始まってしまうのかと思うと、うんざりする。

夏の風物詩は嫌いではないけども、最近の東京の夏は、心底うんざりとする。

いわずとしれた、モーニング娘。のセカンド・アルバム">セカンドアルバム。

ちょっとばかり自分の中でテンション調整をするために聞き返していたりする。
なんだかんだ言っても、いまだに自分にとっては娘。の中では最高の出来と思える一枚。
LOVEマシーンは特異すぎる代物だけども、娘。が大きく変質してしまう前、楽曲も充実していた時代は、今ではここの中に封印されている。
当時のインタビューを見ると、本人たちにとっても気合いが入っていたと思われる佳曲、「好きで × 5」 は、今の娘。たちにはもうこなすだけの力量は残っていないだろう。
それともう一曲、「真夏の光線」。メインボーカルとしての安倍なつみと、それ以外のバック・コーラス部隊との仕組みを派手に持ち込んだためにヲタの間でも評価が分かれる一曲だが、楽曲としての印象はとても良い。
以前のコンサートで、サビの部分をアカペラで披露して見せたところにも、ソング・メーカーとしての つんくの、そして娘。たちの自信が現れているのだろう。
それになんといってもプロモーション・ビデオでのあふれる光がとても眩しい。ここではじけている、二度目の引退をしてしまった市井紗耶香の姿には、まさしく旬の一瞬を移し取ってしまったのではないかと思えるほどの生き生きとした光景に満ちている。

ああ、願わくば。
いつかはこんな眩いばかりの夏の光景を自らも描いてみたいと思っているのだが、はたしてそれは何時のことになるのやら。
モーニング娘。の最新シングルが、矢口真里の番組でオンエアされたわけだけども……

すんごく微妙な感じがする。
いってみれば、ハイパーファンクなズンドコ節といった感じ。
コンサートでは受けるだろうけど、盛り上がるだろうけど、ヒットチャートはどこまで上がれるんだろう。
辻・加護の最後のシングルがこんなのってのは、どうなんだろう。

ま、トップフレーズが石川梨華だから、良しとするか。 (おいおい……
NHKの大河ドラマ 「新撰組!」 は観られるときには観るようにしている。

先週のオンエア分は、あまり集中してみていられなかったので、土曜日の再放送をビデオ録画して改めて見直した。
芹沢鴨暗殺のエピソード。終始緊張感に満ちた画面が続く。
佐藤浩市の凄味に溢れる存在感には常々目を見張らされていたけども、それもこの回はさえ渡っていた。
嵐山でのしっとりとした一面を見せたかと思うと宴の席での酒の飲み方へと幅の広さを見せつける。そして圧倒的な刺客との対峙シーン。これでもかと渋さを発散する画面は戦慄ものでしかない。
この雨中の襲撃でのもう一つの見せ場は、堺雅人演じる山南のかっこよさ。
実践の場で詰めが甘いと詰られながらも見せる迫力には思わずゾクッときてしまう。

それで今週は大阪奉行所の与力殺害の回。
おとなしめにことが進んでいくのかと思ったら、見事に裏切られた。なんといっても今回は演出の勝利とでも言うべきか。
与力が乗った駕籠の列を襲撃しようとする場面、近藤勇が興じる座敷の場に三絃の響きが鳴り渡る。
静かな調べは緊張感との対比かと思っていたら、沖田が刀を交える場面になると速度と強さを増す。橋の上でにらみ合う二人の間の緊張と現場に出ることを止められた近藤の心中を表しているのだろうと、わかっていてもついつい引き込まれてしまう。

そしてこれから後に控えるのは池田屋事件。
ますます目が離せなってくる。

ふっと思いつくのは、YMO晩期のアルバム 「浮気なぼくら」 に収録された楽曲。

ひとまず VAIO Pocket には、手元のデータをがさがさと転送して電車での移動時とかに使っている。
今日はそんなデータの一つ、アルバム 「UC YMO」 に入っていた一曲がなんとなく耳に残ってしまった。
生まれ変わった新しい自分に出会い、過去の自分に別れを告げるといった歌詞なのだけども、タイトルとも合わせて、なんとなくレイ・ブラッドベリの連作短編集 「火星年代記」 を連想してしまった。

ロケットの夏から始まる火星の開拓と先住生命との出会い。
その中で薄明の中での出会いを描いた一編があった。
初めて読んだとき、その切ない光景におもわずしんみりとしてしまった記憶がある。
それは、その何年が後、まだ郷里がいた頃にオンエアされた、アメリカあたりの制作によるテレビ・ドラマ版でも再現されていた。
「火星年代記」 には、全編を通してテクノロジーへと現代文明に対する憧れ、そしてそれと同居する過剰な「力」への懐疑の視線、それと同時に人間としての生命への畏怖が感じられるのだけども、素直に感傷的な気分に浸れるのが、かつて栄えていた文明との邂逅を描いた一編だった。

ブラッドベリの描く火星開拓は、先住民族を制圧し、いったんは栄華を極めるがやがて文明は潰え、最後に登場する一家の姿に新しい火星人の営みが受け継がれることを示唆して終わる。
100万年ピクニック。
どこまでも続く生命の営み。決して否定的なだけではないブラッドベリの思いがうかがい知れる。

それで、この火星年代記のドラマ、もう一度観てみたいと思ってるのだけども、果たして叶うのかどうか……。
不死者のあぎと、プラネット・ラダーを完結させたなるしまゆりの作品は、原獣文書、少年魔法士もクライマックスを迎えようとしている。

カルノは香港に行く前の過去はこれまで明らかにはなっていなかったのだけども、ついに語られることになるのだろうか。
人王により、次なる王の「素材」として見込まれた存在。悪魔喰いでありながらも高位の術者。自らもあまりそういったことには口を開かないできていただが、かなり壮絶な体験を重ねてきているのは匂わされている。
彼は死者によって守られている砦の中で、自ら出会ってきた死について振り返ることになるのだろうか。
またしても連載は続きが気になる展開をしようとしている。
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