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自動リンクでいったいどんな商品がピックアップされるのか実験も兼ねて置いてみました。 はたしてこのブログはamazon的には……。



載せてみたりする。

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クラフトワークの来日公演、お台場 Zepp東京での二日目に行ってきた。

開場時刻ギリギリに到着したのに、表に出来ている行列はそんなでもない感じ。そんなことを思っていたのだけども、開演前にはけっこうなオーディエンスが集まってきていた。今回は渋谷AXとあわせて5回公演なので、少しは入りが分散するかと思ったのだけども、ファンはそれなりに動いてるのかもしれない。

そして開演。
無粋な会場のアナウンサーの案内 (そんなの無ければより盛り上がれるのに) の後、シーケンサーの音が始まるのは前々回の赤坂と一緒。
ロボットヴォイスが響くと盛り上がるオーディエンス。そのまま一曲目は Man Machine。ステージにかかる幕に赤いライトがステージ側から照らされると、4人の影がくっきりと映し出される。横長に広いスクリーンに映る映像は一見チープだけども、彼らのサウンドにはよく似合う。
二曲目は Expo2000。そして最新アルバムからのTour de France 2003に続く。広いスクリーンに映るスローモーションの路面の映像は、ゆったりとした流れの中にも確実なビートを感じさせる。その後も続く構成主義的にデザインされたツールの映像は、感情を奥深くから揺り動かしてくれる。
そしてVitamine を経てこんどは20年前の Tour de France。なかなか心憎い演出だ。「乗り物デラックス」といえるセットは、Autobahnへと流れ込む。なかなかエンジンのかからないフォルクスワーゲンの走る道は、オリジナルに回帰したサウンドの高速道路。コンパクトなサイズにまとめられてるとはいえ、生声で歌われるように、そこにあるのは「楽しい、楽しい、アウトバーン」。やはり不朽の名作だ。
相変わらず手引きパートを残した The Model、メッセージ色を更に強めた Radioactivity、シーケンスフレーズが心地よいNeon Lights を経て、いよいよ大曲、TEE (ヨーロッパ特急) へ。多少、The Mix の雰囲気を残しつつ進む列車は、以前にも増して力強く走りぬける。そして、列車が液に到着するとともに、いったん幕が下りる。

再開するステージは、Numbers から。微妙にパワーアップしたバージョンは、ときに1から6までを数え上げる。そのままノンストップで流れ込むのは Computer World のフルバージョン。そして、It's more fun to compute をはさんで、誰もが待ち望んでいたはずの 電卓 へ。それはもう、お約束のように盛り上がる。前々回は赤坂Blitz で一緒に歌っていた自分を思い出す(苦笑)。
盛り上がりとともにまた幕が掛かる。アンコール第一曲は The Robots 。ステージ上で上半身だけの機械人形がパフォーマンスを繰り広げるのも、これまたお約束になっているのかもしれない。シーケンサーだけで演奏されているのに、ここまで盛り上がれるのはクラフトワークならでは。
そしてロボット撤収のためにもう一度幕が下りて、再度のアンコール。Elektro KardiogrammAero Dynamicと、最新のビートを披露して、ラスト・チューンは、これまたお約束の Music Non Stop。さり気なく、メンバーが一人ずつソロ「技」を疲労してからステージから去っていく。最後に「サヨナラ」と一言告げて。

こうして2時間と少しのステージは終了。
正直、体力的にキツかった。でも、ステージ上の4人はもっと高年齢のはず。それなのに、まだ残り3回のステージをこなす。
さすがにテクノの神様は、ただ者ではなかったと思い知らされた。
ふらりと外を歩いていたら、空気が変わっているように感じられた。

それまでの刺すような冷たさを持ったものではなく、水分を含んだ春の気配をたくさん抱えているような空気になっていた。
それと、花の香りだけではない、どこか前とは違ったなにかが、鼻の感覚をくすぐっていく。
風は強いけれども、移り変わる季節の存在と、その境目をはっきりと感じられた一瞬だった。
まだまだそのまま春本番にまっすぐと向かうわけではないだろうけども、新しいものとの出会いを予感しながら歩くのが快適な時がやがてやってくる。

年度末というと、道路工事が多くなるのは定説なのかもしれないが。

新宿の近辺、環状に走っている幹線道路は工事が真っ盛りだ。
山手通り (環状6号線) は高速道路、明治通り (環状5号線) は地下鉄の建設のために、盛大に掘り返して作業をしている。どちらも、作業が進むと工事箇所や規模がすぐに変わっていくので、油断していると風景が覚えていたものとぜんぜん違ってしまっていて驚いたりする。
どちらも出来上がると、生活に便利なこともあるのだろうけども、今は少し不便だ。なにせ幹線道路だけに、迂回しようとすると少し大事になってしまう。環状七号線を使うにしろ、外苑西通り・東通りを使うにしろ、迂回のために増える手間と時間は時にはとんでもなく多くなってしまう。

東京という都市に住んでいる以上、混雑とはある程度の妥協をしつつ生活しなければいけないのだろうけども、なかなか一気に快適にはならないのがもどかしい。
今日は原チャリに乗るのはちょっとお休み。

寒さが戻ってきていたのと、霞ヶ関近辺を通過したくなかったので。
なんといっても、今日、東京地裁の近くを通るってのは、無用な混雑に出会うだけでしかないだろうし。
それに迂回するのも面倒くさいし。

そんなことで、少し居眠りしながら、多少の不安を感じつつ地下鉄で通勤。
帰りは山手線にしますかね。
街角で、ジンチョウゲの香りが漂っているのに気づいた。

少し前に花芽が成長してきているのを目にした記憶はあったのだけども、最近の暖かさで花開いた株もあるのだろう。春のジンチョウゲの花の香りは、秋のキンモクセイのように、目立つ存在なので少し遠くからでも咲いているのが良くわかる。
キンモクセイの香りは、一昔前だと 「トイレの (芳香剤の) 匂い」 とか言われたりもしたのだけども、最近では芳香剤にもキンモクセイという表記は減ってきているように思う。ということは、ひょっとすると香りじたい、そのものが忘れ去られようとしているのだろうか。

自分にとっては、ジンチョウゲもキンモクセイも、実家の庭先で見かけていた樹木なので、季節の移り変わりの中での記憶の一つに組み込まれている。だから、どちらもきちんと実体を伴った記憶になっている。
誰かが、香りはそれだけで記憶の一繋がりを呼び起こすだけのパワーを持っている、と言っていたような気がするが、自分にはそれほど強烈な鍵となるほどのものではなく、日常の中の一ブロックであるように思える。

香りの記憶というと、どうしても 『星の時計のLiddell』 というコミックを思い出してしまう。
繊細に描き込まれた絵とともに、緻密な思索的な作品世界と物語は、往事の少女漫画の至高の逸品と言っても良いと思う。
キンモクセイの香りに導かれ、開かれた世界……久しぶりにゆっくりと読み返したいと思ってみている。

いつも走っている道路が、いつも以上に混雑していると、何があったのだろうかと考えてしまう。

今朝の場合は、事故処理だった。
流れが詰まっているのがかなり前の方だなと思っていたら、大きな交差点で事故処理作業をしていた。すでに事故車などは姿がなく、周囲もふだんと変わりがないような事故現場だった。
事故の現場には時々すごいものに出会ったりもしている。軽乗用車が普通トラックとぶつかってくしゃくしゃに潰れていて、一面にガラスの破片が飛び散っていたりとか、全車線を閉鎖してレスキューが救出作業をしている真っ最中だったりとか。
そこまでいかなくても、接触程度の事後処理をしている光景にはよく出会ったりしている。ときにはそんな程度でも後ろの方ではすごい流れが悪くなっていたりする。

他にも、街路樹の剪定作業や、荷物の積み卸しで車両が停まっているだけでも、渋滞になってしまったりしている。
原チャリだから、かなり車列の間をすり抜けていくことができるとはいえ、それでも気分がよいものではない。
できれば渋滞なんかが起こらないような街作りが出来れば、みんなが幸せだろうけども、それは簡単には実現できないのだろう。なんといっても、シムシティですら、渋滞はすぐに発生してしまうのだから。


Photoshop CSがそろそろ出てくることになろうとは。

ちょいと気になる機能が増えてるので、バージョンアップしてしまいそうですねぇ。でも対応OSはWindowsXPだけみたいな……。

それにしても、いろいろとバージョンアップが頻繁に行われると、大変になってくる。Macromedia の DreamweaverMXは、バージョンアップするだけの期待が持てなかったから今回は見送ったものの、次には確実にバージョンを上げないと権利が喪失するし……。ちょっとアコギな商売してません? Macromediaさん。

これでOSが新しくなったら、確実にまたバージョンアップの嵐になるのだろうし。
少し先を見据えて、計画もどきでもたてますか。ふぅ。
ベストのアルバムを挙げろといわれたら「TECHNODELIC」を選択する。

もう一枚、「BGM」との間でかなり悩むことになるのだろうけども。どちらも1981年に発売されたアルバムだけども、大ヒットしたセカンドアルバムとはがらりと内容が変わっていた。
変化の兆しは、セカンドアルバムに続く、「X∞ MULTIPLIES」 でも現れていたが、破壊的な音色・構成、クリス・モスデルの創作詩からピーター・バラカンの翻訳に変わった歌詞、よりコンセプト色を前面に出した内容など、売れすぎたことからくる反発と、本人たちのやりたいことが入り交じったパワーを内に秘めている。

BGM」も決して悪くはないアルバムだが、見劣りしてしまう曲があってしまう。
その後、間に高橋幸宏と鈴木慶一 (ムーンライダーズ) のユニット、BEATNIKS によるアルバム「EXITENTIALISM 出口主義」 を経て、同じ年の冬、「TECHNODELIC」をひっさげてYMOは全国ツアーに出る。
トレヴァー・ホーンとどちらが先かと言われる、サンプリング音を使った傑作アルバムの登場だ。
当時でもまだ数百万円したE-μレーターと、手作りのサンプラーを使った録音は、石油缶スネアなど面白い音を生み出していく。トータル色としては坂本龍一の影響が強く表れていると評されているアルバムだが、ミニマル・ミュージックのエッセンスを取り込んだり、細野晴臣が本領発揮したエレクトリック・ベースの存在など、20年以上が経過した今でもまだ色あせることのない世界がそこには広がっている。

当時から、かなり聞き込んでいたアルバム。今でもまだ囚われたまま、聞き続けている。
いくつかの目を通しているコミック雑誌にも変化が訪れてきた。

自分も変わって行ってるせいもあるかもしれないが、同時に雑誌も変わって行ってるのだろう。
ずっと以前に、少年ジャンプ、少年マガジン、ヤングマガジン、ヤングジャンプなどは読むのをやめた。最近では、ビッグコミックスピリッツとコミックモーニングが微妙になってきている。
ビッグコミックスピリッツは、まだ半分くらいは読んではいるがモーニングに至っては立ち読みで終わらせてしまっている。それも「プラネテス」が一応の区切りを迎えてしまったので、「ES」だけを追っかけているような状態だ。たぶん、「ES」が無くなれば読むのを止めてしまうことにもなるかもしれない。なんせ「サイコドクター」も作画が変わってからはまったく読もうという気が起こらない以上どうしようもないだろう。

ビッグコミックスピリッツも実はかなり危うい状態に近づいていた。自分としては「20世紀少年」と「ギャラリーフェイク」が終わったらそこでかなり読む気が萎えてしまっていたかもしれない。
ただ、最近になって東本昌平の連載が始まって、また少し読む気が戻ってきている。最近の読者にはどこまで受け入れられるかわからないが、この先の展開に期待している。

しかしなあ。表3の広告が「とらのあな」というのは如何なものかなぁ。スピリッツ。
昨日も都心の同じところで検問をしていた。

国連の偉い人が来日しているからかな、なんて思ったりもしたけども、ひょっとすると他のテロとかも警戒していたのだろう。
それにしても、実際に車が止められているところを目にしていないので、何を対象としているかがわからない。たいていの検問の場合、原チャリはスルーなので、ほとんど関係ないことではあるが。
ただ、検問のために確実に一車線はふさがれてしまってるわけで、それが渋滞の原因になっていたりしたら……この怒りはどこにぶつけてやればよいのだろう?

と、まあ、そんなことで、水曜日から原チャリ移動が復活したのでした。気候も体調も良くなってきたことだし。
来月は自賠責の更新……。
二度寝すると、いやに夢っぽい夢を見ることが多い。

断片ばかりだけども軽くメモ。

「ためしに死んでみればいい、というわけか」「そうだ」 ( 本文より)

初刊となった光文社文庫から発売になった際に読んでいたというのに、すっかり内容を忘れていた。

テーマの一つは、いつもの神林長平の扱う例のアレだ。それもかなりストレートに出てくる。だけどそんな重々しい雰囲気のものではない。じつに「あ・軽い」タッチだ。テーマやモチーフじたいはけっこう重いのに、それを表面上はすぐには感じさせないタッチで話が進む。
読み直しながら思ったのだけども、映画 『MATRIX』と対比してみるのも面白いかもしれない。プロフェットとモーフィアスを融合させたような存在が登場するし、アーキテクチャやエージェント・スミスめいたことをする存在も現れる。なんといっても、「世界は偽物なのかもしれない」といったモチーフがいつもついて回っている。
ただし、主人公はネオのような超越的な動きはしないし、世界の救世主たる絶対的な使命は与えられない。表向きは。なにせ、作中でも何度も触れられるように、「脳天気」 さが炸裂する、実に人間めいたキャラクターだ。クライマックスで究極の選択を求められることになるのだが、そこでも迷うことなく選択をする。実に明解で、もっともらしい選択だ。でもそれが妙に納得できるし、主人公によく似合っている。

そんな主人公の姿が、どことなく同じ神林長平の 『親切がいっぱい』 に登場するボランティア斡旋所の所長を思い起こさせる。同じ光文社での書き下ろしだったのと、発表に数年程度しかスパンがないことからいろいろと思ってしまうのは邪推なのだろうか。でも脳天気さは、本作の主人公の方が格段に強い。それに脳天気さがきちんと意味を持っている。

主人公の世界の真実の姿については、明言されることはない。でも、主人公はそれは気にしていない。光文社文庫版の解説にあった、神林作品中、最強の主人公だという評価もなんとなく納得できてしまう。

気張らずに読める一冊。ただし、考察すると奥は深い。日常の中に潜む哲学。でもそんなに難しくないエンターテイメントだ。
好きですねぇ、納豆。

なにせ東日本育ちなもので、普通に食卓にあったから、なんの違和感もありゃしない。
納豆もいろいろと薬味などのバリエーションが多い食べ物だと思う。

オーソドックスなところでは芥子。これは最近のパックだとタレといっしょに付いてくることが多い。でも、実際はそんなに辛くない。多少の香り付け程度。
ネギも多いのでは? 白ネギの場合、あまりたくさんいれると、苦くなったりするけども。
砂糖。醤油だけで味を付ける場合には使うこともあるのではないかと思う。ただ、なかなか溶けない。へたするとザラザラとした食感が残ってしまう。
卵。全卵を使うとけっこうゆるゆるになる。でもまろやか~な感じ。ご飯のお供二大スターの共演なのだから、そりゃぁもう大変な騒ぎ。黄身だけだと粘りけ倍増!
大根おろし。汁気を切っても良いし、切らなくても良いし。ピリ辛な大根だとそれがまた乙。これが一番好きかもしれない。

てなことで、また納豆だけを単品で食べたりしていた次第。
喘息の関係で、いつもの病院へ。

平日の朝から総合病院の待合室は老人で一杯。
若い世代なんてのはほとんど見かけることがない。
内科の受け付けでは、常連っぽい老婦人が看護師の対応が悪いと言って、「もういい。昨日もあなたに同じこと言われたんだよ。もういいよ」と拗ねてしまっている。
車椅子に乗ってフロアを移動していくのも、大人しく座ったままの老人。
いちいち数えていたらきりがないくらいだ。

そんな中でも診察じたいは予約制なので、だいたいの時間になると診察室に呼び出される。
今回は……ピークフローの記録を見て怒られた。正月に風邪で体調を崩したときに値ががくりと下がっているのは「危なかったね。これは」と落ち着いて指摘されてしまった。
まあ、あの時は熱も出てたし、症状がどちらかというと風邪よりだったので病院には行かずじまいにしてしまったのだけど、きちんと医者に診てもらった方がよかったのやら。

こんなことも、今ではふだんの生活に戻っているから言えるのだけど。 (^_^;)

ついに歩行者専用信号機にもLED発光式のものが登場していた。

黒い地に、赤色と青色のデザインが浮かぶ様は、一瞬ぎょっとしてしまう。
なんといっても、いつも見慣れたのと似ているのに、どこか違っているという代物だから。
そして青色灯は点滅するだけに、LEDの 「すぐに切り替わって見える」 仕様がとてもよく目立つ。

耐用年数とか、消費電力とかを考えると、これからも普及していくことになるのだろうけども、そこで否応なく違和感を感じる世代というのは生み出されてしまうのだろうな、などと考えてしまう。
たぶん、ほんの何年かのことだけだろうとは思うけども。
久しぶりにライトノベルを購入して読んだ。

基本的にライトノベルは読まないのだけど。
でも全く無関係なわけではなくて、この潮流の原点あたりに位置するはずの岬兄悟や火浦功、新井素子あたりは一頃までは読んでいたから。
それがまた何故に買ってまで読んだかというと……そりゃぁ、この界隈向けの題材があったから(苦笑)。

さて、感想。かなり辛口。

この界隈の住人からすると、美味しいところがかなり薄まってしまってるのは……残念ではあるけれども、(いちおうは) 一般向けのラインナップの中にあってのことだから仕方ないのだろう。
主人公の順応が早いのは……まあ、この界隈でもある程度定番な展開ではあるけども、そこに至るまでの諸々が美味しいのであって……って、これはこの界隈に染まりすぎてるから、そう思うのかもしれないが。

全体的に気になったのは二つほど。

まず漢字の使う量。
この題材で、この文体で、この語り口で、そして (あとで触れるが) この構成で、あれだけ漢字を使う、それもわざわざルビを振ってまでというのは疑問に思う。
ルビじたいは、ある程度までは読者の年齢層を考えると理解できなくはないのだが、それを排して残るもの、たびたび出てくる漢語や熟語の用い方は、語りの柔らかさと相反するものと思う。

もう一つは構成と校正の甘さ。
校正については2ちゃんねるでも指摘されているが、安直にミスを残しすぎている。
注意して原稿を作れば絶対に出ないはずの「確立」。明らかな日付のミスが二つ (これらは 2ちゃんねるで既出) 。
他にも文字の欠落や、段落冒頭の字下げ忘れ、漢数字・算用数字の使い分けのふらつき……初歩的なミスがかなり目立つ。

そして構成。
終盤の展開じたいは理解できるが、視点の唐突な移動ははなはだ疑問だ。
視点の移動じたいも実は悪ではない。しかし唐突にどさっと出現する構成は稚拙だ。
日記をまとめて配置しなくてはならなかったのは明らかに作者の力量不足だろう。それぞれの章立てしてある直後に配置することで、かなり展開の違和感も無くすことが出来るし、それだけの伏線張りが出来ないようでは如何なものかと思う。
伏線といえば、中盤過ぎてからの伏線がやたらと目立つ。あからさままでな伏線として存在している。そういった点でも、構成は到底及第点とは言えない。

さらに疑問なのは、周囲のキャラ配置がかなりベタである。
作者の中で必然性があったのは、分からなくもないが、作品世界の中でのその理由付けは緩い。
ベタなキャラが生かし切れていないところが多々ある。もっといろいろ膨らまし、転がすことが出来たであろう題材だけに、全体にこぢんまりとまとまってしまっているような印象を拭いきれない。

私としては続編を出さないことをお薦めする。
すでに、この巻だけで、「脳を交換されてしまった二人」 というところから導き出される、美味しかったはずのところはほとんど使い尽くされている。このまま続けても、ただのドタバタな学園ドラマしか展開できない。
まあ、キャラ萌えでそれを乗り越えられる読者もいるかもしれないが、作品としてのポテンシャルは、下がってしまうことになるだろう。

ひきつづき電車での移動中に読み上げた一冊

この前に読んでいたものに比べたら、かくだんと活字も大きいし、ページ数も少ないのだが、単位時間あたりの読み進む速度は前よりも遅かったように思う。

尾之上俊彦氏の解説にもあるように、文章の大半は登場人物の会話で進行していく。テンポ良く進む会話だけども、そこにはいろいろなものが含まれていて、ただ読み流してしまうわけにはいかない。イメージを再構成しながら読み進めるために、必然的に速度が落ちてしまっているのだろう。
会話以外の部分でも油断は出来ない。けっこう刺激的なイメージが、実にシンプルに語られているものが諸処にある。そういったものをイメージしながら読むことは、ある程度のスキルのついた小説読みなら楽しい作業だろう。

解説にもあるように、この作品ではいつもの神林世界のように、作品世界があっという間に変容・崩壊したりすることはない。むしろ変容するのは作中人物の認識の方だったりする。
そこには隠された感情も存在する。そんなことを想像しながら読み進めるのも楽しい。

決して複雑な内容ではない。むしろシンプルすぎる構造とも言える。
しかし楽しめないわけではない。
いつもと違う神林長平のエッセンスを楽しむには丁度良い一品だ。
少し前の「うたばん」で森山直太朗が言っていたメニューが気になっていた。

それは、「カップのやきそばと納豆の組み合わせ」。
最初はなんだかんだと避けていた中居正広も「うまい」と言っていたのでいつか試してみようと思っていた。

そして本日、ようやく決行。
やきそばは由緒正しく、ペヤングのソース焼きそば。今日は空腹がひどかったので大盛りパッケージに。
そして納豆は、おかめ納豆の小降りのパック二つ口 (タレ・辛子つき)。
カップやきそばを普通に作って、それから納豆も普通に作って、おもむろに両方をミックス……納豆二つパックはけっこう量がある。混ぜづらい。
なんとかソースと具合良く行き渡ったところで、まず一口。

そんなに悪くはない。でも毎回楽しみたいと言うほどでもない。それでもそんなにひどいわけでもない。
とりあえずは普通に食べられる程度だった。味の方は。
しかし食べづらい。
豆が糸を引くのと、麺とが微妙に分離していて、別次元のもののようにも思える。それと、最後の方になるとやたらと小粒の大豆が麺とは別にぽろぽろと転がっている。

どうやら、やはり納豆二つパックというのが多すぎたらしい。でも、それしか近所のコンビニには置いてなかったのだから。
メーカーさん。個別パックも必要ですよ。やっぱり。
多少コストがはっても考えません?
松屋のXデーは、当初の予定よりも早まってしまったのだそうで。

仕事場の近くの松屋は、13日の帰りに前を通りかかったら既に販売休止になっていた。
そりゃあ仕方ないだろう。なんといってもオフィス街(?) だし、最寄りのJRの駅も、ある意味では非常に有名なところなのだから。

でも、ほんとうにこれでしばしのお別れになってしまうのなら、ということで今日の昼食は地元の松屋まで行ってきた。
混雑時を少し外して遅めに行ったので不安がなかったわけではなかったが、食券の販売機にはまだ並も大盛りも健在だった。
そりゃぁそうだろう。地元はなんと言っても学生街。入学試験最中の今、最も注意しないといけない客層がほとんどいない状態だろうから。なんといったって、年末年始に休業してしまう店舗なのだから。

一緒にオーダーしたのは生卵にお新香。松屋の牛めしは自分には少し味がキツいので、卵をかけてなじませようという魂胆。味噌汁がセットになっているのは有り難い。煮詰まってさえいなければ。

スピーディーに出てきた並盛りは、たぶん最後の配送分。玉葱はもうかなり煮込みが入っていて、煮くずれた肉の塊がつぶになってつゆに混じっている。そしてそのつゆはといえば……もう最後だからなのか、頼んでいるわけでもないのにつゆだく状態。何となく徳をした気分で箸を付ける。

食べていると、そこそこ客が入ってくる。牛めし、牛めし、ハンバーグカレー、焼き肉定食、牛めし……。
カメラが押し寄せることもなく、最後の日はゆったりと過ぎていくような感じだった。
もうDVDが発売になるそうで。

4月2日。
20%オフになってる amazon.co.jp で予約してしまいましたよ (^_^;) 。

映画館にはきちんと足を運んではいるけども、やっぱり買ってしまう(苦笑)。
前二作に比べると、CGがいかにもCGとして使われているけども、それでも買ってしまう(苦笑)。
たいした再生設備があるわけでもないけど、買ってしまう(苦笑)。

まあ良いでしょう。好きなんだから。
ようやく読み終えた。

SFマガジンの連載も気づいてはいたけども、雑誌を熱心に読む時期ではなくなっていたので、スルーしていた。
その後、なんとなく意識のどこかに引っかかっていたのが気になってどうしようもなく、文庫本を買ったものの、これもしばらくの間は積まれたままになっていた。
書名で検索したら、新潮社のサイトでもヒットするのはなぜだろうと思っていたら、「黄泉がえり」 の関係で新潮文庫から昨年末に再販されていたんだね。これは知らなかった。

そんなことで手元のものはハヤカワ文庫版。
600ページ超。活字も最近のハヤカワ文庫に比べるとかなり小さい。
それでも長さはそんなに気にせずに最後までたどり着くことが出来た。

読み終えて感じたこと……まずは、ああ、こんなものかな、というところだった。
実を言うと、どうしても作品世界に入りづらい要素が一つだけある。それは、かなりの部分を熊本市から阿蘇山に駆けての現実の地形・地名を大きく導入しているからだ。
ある意味ではリアリティのための手法だろうが、逆に現地を全く知らないとなると、それなりに状況を想像するには自分の知っている風景を無理矢理に結びつけていくしかない。そんなところで多少、よけいなクッションが入ってしまうのはどうしても否定できない。

それから作品世界の仕掛けがどうもオモチャじみたものに見えてしまうのも否定できない。
それまで、作中人物の心理や行動を追いながら綿密に作り上げていったテンションが、ある仕掛けが登場したとたんに、すっと少し引いて見えて、さらにそれがどうにもカラクリ仕掛けと同じように思えてしまう瞬間がやってきてしまう。
たぶん、それは物語のクライマックスの到来と重なっていて、少しばかり書き急いでしまったためなのかもしれない。もったいないところだとも言える。

全体としては決して悪くはないだけの内容とボリュームを持っているのだけども、そんなほんの少しの引っかかるところが残っているためにもったいないことをしてしまってるのではないだろうかと思う。

個人的には、日本映画的な空気の中でメディア展開できる素材だとは思う。けっこう面白い仕上がりになるはずだ。ただし、SFX部隊はかなりしんどい作業をすることになるだろうけども。
約2ヶ月の使用で、また利用休止にした。

やはり最大の原因は、DoCoMoから、SO505is が出てきてしまったこと。
そうなると、あうな端末のメリットは、メモステ duo pro が使えること以外には無くなってしまう。そんな端末の回線維持のために毎月固定費を出し続けるのは無駄でしかないので切り捨て対象になってしまった次第。
それでも解約ではなくて、利用休止にしておくというあたりがなんとも小心者というか(苦笑)。

だってそうしておくと、再開したときに長期割引が引き継がれるし……。
第一報はチャットの場でもたらされた。

一番反応が早いだろうと思ってまず行ったのが、2ちゃんねるのニュース速報板(+)だった。
案の定、たいがいのニュース系サイトよりも早くすでにスレッドが立って書き込みが続いていた。現場上空にはかなりヘリが出ているとか、いろいろと真偽おりまぜて情報が出てきている。
そのまま夕方までリロードをくり返し、テレビのニュース番組を見ていると、それなりに扱われている。やがて鎮火に至ったようだが、重傷者・死人が出なかったのは何よりだった。それでも店舗の下層フロアは消失。一時はかなりの火の手が上がっていたようだ。

あそこの売り場は何度か足を運んだことがある。
実は、画像・3D系のちょっとしたアプリケーション・ソフトウェアが店頭に在庫している貴重な店だったからだ。
PCフロアの売り場は延焼は免れただろうが、煙と放水でほとんどの商品は売り物にならなくなっているだろう。損失は案外と大きいと思う。

しかし、火が出たのがヤマギワソフトでまだ良かったのではないかと思う。
ショップがひしめくアキバの雑居ビル、階段が非常に狭いところとか、エレベータだけでしか連絡が出来(そうにも)ないところなどざらにある。もし、そんなところから火が出ていたら? たぶん、今回のような被害では済まなかったのかもしれない。場所によっては消防車が入るのも大変な様子だろうから。

それにしても。
見慣れた光景が一つ、無惨にも変わってしまったのは……寂しいものだ。


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そんな大袈裟なものではなく、帰りに駅に行くのにちょっと寄り道していっただけのこと。

19時を回った店内のカウンター席はほとんど埋まっていた。誰かが出ていくと、すぐに別の客が入ってくる。
客はほとんどが牛丼を頼んで、皆、もくもくと食べている。
出てきた並盛りは、こころなしか肉の量が少なかったような気がする。でも、それも今日でしばらくの間お別れ。半熟卵とけんちん汁もオーダーして、たっぷりの唐辛子をかけて味わう。

ふと、耳慣れない声がする。
「Gyu-dong?」
「並と大盛りとありますが」
「small」
「並一丁」

スキンヘッドの外人さんがオーダーしていた。
確かに観光地が近いところだけども、一人で牛丼屋に入ってくるのも凄いと思う。あんた、ラッキーだね。今夜がラスト・チャンスなんだよ。

思えば、吉野家は田舎にいた頃はあこがれの一つでもあった。なにせ田舎には店舗がなかったから。
それでも中波ラジオで聞く東京の放送局の電波に乗る「牛丼一筋80年」のCMはイヤに印象に残った。あとはキン肉マンのコミックとか、うる星やつらのアニメとか。
ラジオのCMとういえば、当時もう一つ、井村屋もあったけども、そちらはなぜか地元の店で、あんかけ固焼きそばが学生向けお得な安メニューでお世話になっていたので、そんなに感慨はなかったが、吉野家だけは違った。

上京して……あこがれは叶った。自分の中では吉野家の牛丼が一つの基準点になった。松屋は味が濃すぎてだめだった。すき家はあまり入る気になれなかった。なか卯のもそんなに悪くはないと思った。

でも、今はさようならの、大衆食、牛丼。
また、すぐに会えるといいね♪
テレビで辺見えみり を見ていて、ずっと誰かに似ているなぁと気になり続け、ようやく思い当たったのは飯田圭織 (モーニング娘。) だった。

え? 似ていない?
そうですか。でも、ロングの髪の毛とか、目とか頬の雰囲気が似てるような気がするのですよ。

それにしても、飯田圭織、これからどうするのだろう?
もはや飾りだけのリーダーだけの地位。はっきり言って、お子様だらけの娘。本体の中で浮きまくっている。
いちおうソロでの活動の場も与えられ、アーティスティックなこともしているのだけども、あのままでは本体なみの線まで浮上するのはなかなか難しいだろう。
安倍の場合は、歌でも役者でもそこそここれまでの活動があったから、独立しても少しは惰性で動けるだろうが、飯田の場合は……さて?

「モーニング娘。は青春そのものだった」
このことばは、ひょっとすると、大人となった今は……というものを含んでいるのだろうか?

どうしても色々なことを考えてしまう。
この季節に重宝するものといえば、これ。

最近、目につくのは、長い髪の上からマフラーを巻き付けている女性の姿。
髪がまとまるという効果もあるのだろうけど、せっかくのマフラーの風合いとかがわからないのでないか、とか、固定してしまうことでかえって邪魔になるのではないか、とか心配してしまう。
えーと。私は伸ばしていた時期(笑)には、髪の下、首筋にマフラー巻いて、髪は束ねて結わえていましたが。

昨日の帰り、電車の中で見かけて、ほほぉ、と思ったのは女性ではなくて初老のおじさん。
けっこう厚手のマフラーをしっかりと巻き付け、それをコートの下にしまっていた。ふんわりと厚くなっている首筋の姿が、なんとも格好良く見えた。
オシャレな中年の姿というのは良いですなぁ。
一応ちゃんとした持ち方が出来ていると思う。自分では。

あまり強く仕付けられた記憶はないけれども、その点は親に感謝。
小さなものをきちんとつまむことだって出来るし、たいがいのことは箸で出来るから、ふだんは意識しないとはいえ、とても有り難いことだ。
ときどき、もの凄く変な箸の持ち方をして食事している人を見かけるが、難儀していたりするのは不幸なことだと思う。
その人の親は、いったい何をやっていたのだろうか、とまで思ってしまうこともある。

きちんと伝えたい文化なのだけど、これもまた人々の意識はそんなに高くないのかもしれない。
女の子が変身して、悪と戦うアニメって、ひょっとするとセーラームーン以来?

今週が第二話。ちょっと注目している新番組だったりする。
なにせ何も考えずに安心してみていられるのがいい。それとなかなか面白そうな設定をしているのが見受けられる。
まだ少し主人公役の声優が固いかな、という気がするけども、でもこれからどう広げていってくれるかが楽しみ。
ATOK16のプロパティとかを引き継いでくれないところがあって、ちょっと憂鬱。

IE6で、変換中の色がどうも変なふうにコントロールされてるらしくてさらに憂鬱。
代金を近日中にコンビニで支払わないといけないと思うと、もっともっと憂鬱。

憂鬱という文字を見て、さらに憂鬱。
オンラインで発注しておいたATOK17が届いた。

店頭発売日よりも先に、一太郎と合わせた日程で送付して来るというのでオーダーしたもの。
さてさて、使い勝手はどうなっていることやら?
きちんと、以前の環境なんかを引き継ぐようにしないといけない。
セットアップ終わったら、細かい設定も見直して。

けっこうやることは多い感じがする。
基本的に、果物が好きなんですよ。

ただ、甘いだけの果実というのはあまり好みではない。酸味と甘みの程よいバランスが欲しい。
バランスはあくまでも程よいところだから、好みはまちまち。
なんといっても、「林檎でどんな品種が好きか」と問われたら、「紅玉」と即答する。
他の果物でも、柘榴とか、夏蜜柑とか、そんなのも好きだ。

やっぱり多少ひねくれているのかもしれない。
果物ではなくて穀物だが、玉蜀黍もしばらく前から主流になったハニーバンタムは好きではない。昔、父親の知り合いからもらった玉蜀黍の実はもちもちとした食感で、噛むほどに甘みが出てきて美味しかったと憶えている。

なんで世の中、単純に甘いものだけを求めて行ってしまうのだろう?
そればっかりになったら、ぜんぜん面白くもないではないか。
電車の中で読んでいた本が、最後まで読み切らないうちに降りる駅に着いてしまった。

あと46ページ。微妙な量。
読もうと思えば読み切ってしまえるのだけども、他にしなくてはならないこともいろいろとあるし、なによりも眠い。
違うか。他にしたいこともいろいろとあるわけだ。

さて、どうしたものやら。明日、何を使って移動するかとあわせて少し考えるとしますかね。
今朝、地下鉄の駅のエスカレーターで前にいたのは女子高生だった。

なにげに髪を見ていると、なんだか天然とは思えないような質感だった。
もともと細い髪質なのだろうけども、それを脱色して茶髪にした上に、とても細かい目のウェーブがかけてある。一瞬、合成繊維のウィッグかと思ってしまったような質感だった。染料か、ヘアマニキュアのためか妙な光沢があるのだけども、それがまた異質な感じを強調してしまっている。
見ていると、なんとももったいないな、と思ってしまう。本人にしてみたら、もともとの素材だといろいろと不満があるのかもしれないが、髪を髪らしくない質感に変えてしまって、本当に満足しているのだろうか?

これもまた余計なお世話なのかもしれないが。
でも、一度傷めたら、髪は二度と元には戻らないというのをそのうちに知ることになるのではないかと思う。
目隠しの国』のコミックス、既刊8冊を。

ハマった。
これまでのエピソードの数々を読み返していた。
少女漫画ならではの素材だな、と思う。でも、良い出来になっていると思う。

たぶん、最終巻が出たら、また読み返すことになるんだろうと思う。
定食を食べていると、やたらと若い連中が入れ替わり来店してくる。

嗚呼、そうか。昨日は一月最後の土曜日。きっと夜通し飲んでいたのに違いない。
これからは入学試験のシーズンで、なかなか学校の中に入れなくなってしまう。その前にいろいろな催しがあったのだろう。
さすがに最近は徹夜で飲もうなんていうことはそうそうあったりはしない。昔はけっこう平気でやっていたことではあったけれども。
さすがは大学がある街ならではの光景。
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